鈴木大介 ルポ リベラルな僕、農村の自治会長になる

鈴木大介(ルポライター)

「自治会=保守」イメージ

 そもそも僕は、この集落に縁もなく、移住してまだ12年という新参だ。18歳まで同じ千葉県内なるも新興住宅地育ち。そこから実家を出て東京ディズニーランド近くのアパートに移り、20年をその街で過ごした。よって、自治会と接点をもったことはもとより、自治会費というものを払ったことすら一切ないという縁遠さだ。

 移住した最大の理由は、子ども時代を過ごした住宅街から子どもの足で20分ほど歩いた先にまさにこの谷津田景観が残されており、幼いころに駆けまわった里山への「回帰願望」が募ったからだった。

 そんなどこの馬の骨ともわからず、文筆家などという怪しげな生業で食っている僕を、地域の先輩方は驚くほど温かく迎え入れてくれた。それでも自分自身「まさか俺が自治会長をなあ」という思いなのは、僕がどちらかと言えばこじらせぎみなリベラル思想の持ち主であり、自治会や町内会といった組織、そのルーツとなる隣組などは「翼賛体制の末端を担ってきた保守的なもの」「全体主義的で、排他的な集団」だという、何となくの思い込みの中で生きてきたからだ。


 なおこの「自治会=保守」のイメージは、実際集落に居を移しても変わらなかったし、むしろ強まった。

 移住から時を置かずして、面倒見の良い隣人の手配で自治会員に登録、同時に所属する部落の組に入り、成り手不足が問題化していると聞く消防団にも入ったが、そんな中で「およよ」と思わず眉をひそめることがいくつかあったのだ。

 最初のインパクトは、やはり消防団活動だろう。

 あくまで消防団は自治会とは属する組織を別にする横並びの団体だが、農村においては消防団協力者がその後自治会の担い手にシフトしていくことが少なからずあって、連携組織の位置づけだ。

 ところがこの消防団活動、そこに含まれる規律訓練なるものや各種行事の進行たるや、まるっきり軍隊式なのだ。

 あらゆる移動は手を腰に当てた小走り。「整列休め!」「気を付け!」「番号!」すべての動きにメリハリをつけ、上官の登場には「頭(かしら)なか!」(軍隊式敬礼)で迎える。イベントともなれば、国旗も掲揚するし、君が代斉唱も当然のごとくある。

 大きな集まりの来賓席には、性的多様性について攻撃的な発言をして物議を醸すこともある、パステルカラーのスーツを着た女性議員の顔があって、内心ドン引きした。

 こじらせリベラルだった僕には、ものすごく、モヤモヤである。

 また、地域には周辺三町で共同維持する神社があるが、秋の例大祭の前には消防部員がお宮の軒を巨大な提灯で彩り、参道の左右に紙張りの灯篭を灯して拝殿で酒を酌み交わす「宮籠(みやごもり)」行事がある。

 そもそも新興住宅地育ちの都市賃貸住民であれば、神社は賽銭箱の前で手を打つ場であって、本殿どころか拝殿に上がる機会もそうそうないもの。提灯と裸電球の明かりの下、秋の夜長に虫の音に包まれながら拝殿の畳に座って酌み交わす地場の日本酒はもう、格別も格別! なのである。

 なんてしみじみ言っていられないことがあったのは、その宮籠に初めて参席した年の準備日のことだ。

 拝殿で何気なく天井を見上げると、そこに戦場に向かうゲートル巻きの兵士らの勇ましい背中を描いた巨大な絵があり、「日露戦出征記念」と書かれていたのだ。脇を見れば、「日中戦役凱旋記念」と書かれた同様の絵も。いずれも絵画の下におそらくこの村から出征したであろう人名が並んでいた。

 隣集落の共同墓地には、村の出身で軍の中で地位を得た者の階級が刻まれた記念碑がどーんと聳(そび)えるのも目にするが、それらから感じ取れるのは、1世紀前の戦争による喪失というより、この地から出征した者らの勇ましさ、誇らしさだ。

 ダメ押しは、そんな拝殿からご神体のある本殿をつなぐ通路の入り口を見上げたど真ん中に、古い額に収められたアレがあったことだ。

「朕惟(おも)ふに 我か皇祖皇宗 國を肇(はじ)むること宏遠に」と始まって、御名御璽(ぎょめいぎょじ)で閉じるソレ。現物の「教育勅語」、僕は生まれて初めて見た。

 おそらく元は地域の祭祀の場だったろうこのお社(やしろ)だが、全国の多くの村社がそうだったように明治以降、ここも皇国史観・国家神道発信の場になった。色濃く残る痕跡に、やっぱりモヤモヤした。

 はたまた、自治会員には年間2回の大きな集会があるのだが、その会議後の懇親会たるや、まさに映画『サマーウォーズ』(細田守監督、2009年)で一部リベラルの間で「男尊女卑描写だ!」と物議を醸したシーンのまんま! 畳敷きの大広間で男たちがやんやの宴を繰り広げる一方、六枚立ての襖と小さな和室を隔てた先にある台所では、自治会長や代理(副会長)の妻らが大皿に手作りの煮物を盛り、香の物を刻み、大量の握り飯をこさえて、いそいそと広間に運ぶのである。

 その伝統的家族観やら家父長制を煮っころがしにしたみたいな光景にはもう、自称リベラルの僕、モヤモヤを通り越してモンヤモンヤぐらいの違和感なのであった。

 そんなこんなで、結局僕の中での自治会なるものへの先入観は変わるどころか、むしろ強化されたわけだったのだが......。

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