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末木 新 ネットが拓く新たな自殺対策――SNSに溢れる「死にたい」の行き場

末木 新(和光大学教授)
写真提供:photo AC
 インターネットの普及は、「死にたい」「消えたい」などの自殺願望を可視化することとなった。同時にそれは、ネットを介した自殺予防手法が行われる素地ともなった。具体的にどのようなアプローチがなされているのか、自殺を専門に研究する末木新・和光大学教授が論じる。
(『中央公論』2023年5月号より抜粋)

毒と薬の二面性

 インターネット(以下、ネット)が一般に普及した1990年代中頃以降、自殺願望を抱く見知らぬ者同士がネットを介して連絡を取り合い、心中を図るという事態が断続的に起きている。その舞台は、かつては電子掲示板であり、今はSNSとなっている。コミュニケーションのプラットフォームは違えど、類似の事態が生じ続けていることは間違いない。

 こうしたコミュニケーションは、心中だけでなく、殺人事件に発展する場合もある。もちろん、その仕方は様々であり、最初から殺すつもりで自殺念慮を有するネット利用者に意図的に近づく殺人鬼もいれば、心中を図るつもりが心変わりが生じ、それが事件に発展してしまう場合もある。過去最大の事件は座間9人殺害事件であり、2017年に発覚したこの事件では、Twitter上で「死にたい」とつぶやく若い女性に加害者が言葉巧みに近づき、同年8~10月の2ヵ月ほどの間に9件もの殺人が連続的に行われた。これほど多数の殺人が起きたのは本件のみではあるものの、いずれにせよ、ネットを介して知り合った見知らぬ他者にリアルで会う場面では、一定のリスクがついて回ることは確かである。

 一般に、「死にたい」と思うことそのものはそれほど珍しいことではない。様々な調査によれば、「過去1年の間に、自殺をしたいと考えたことがあるか」という質問をすると、5%程度の者が「はい」と回答し、期間を1年ではなくこれまでの人生全般に変更すると、この割合は2~3割となる。そして「死にたい」思いは、生きることを前提とし、互いの「生」を気にしてケアをし合う親密な他者(家族、恋人など)には伝えづらいものである。

 一方、ネット上では同じような問題や思いを抱える仲間と出会い、生を前提としないコミュニケーションをすることが可能である。それゆえに、SNS上には「死にたい」思いが溢れ、可視化され、場合によっては犯罪者に利用されてしまう。

 もちろん、ネットがもたらしたものはリスクだけではない。ネットを介したコミュニケーションは、リアルな場面ではなかなか出会うことのできない、同じ問題を抱えた仲間と知り合う可能性も増大させた。親密な他者には言うことの難しい「死にたい」思いを共有できる仲間に出会える機会は、ネットが普及するまではなかったものである。仲間とのコミュニケーションは我々の生きる力となるものでもあり、このことは自殺に関する問題であっても同様である。こうしたコミュニケーションが、自殺を考える者に対し自殺予防として作用する場合があることは、筆者がかつて行った自殺系掲示板の利用者へのインタビュー調査でも明らかにされている(末木、2013)。

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