婚活や推し活、パパ活などはよく聞かれるようになったが、最近では踏み活やチェア活、恋活といったように、次々と「◯活」が生まれている。この現状をどう見ているのか、そこから浮かび上がる日本人の無意識とは何か、コラムニストの石原壮一郎さんと漫画家の辛酸なめ子さんが対談した。
(『中央公論』2024年2月号より抜粋)
(『中央公論』2024年2月号より抜粋)
――昨今、次々と新しい「◯活」が生まれていますが、この言葉についてどうお考えですか。
辛酸 2000年ぐらいに就活が『現代用語の基礎知識』(自由国民社)に載ったのが初期だと思うんですが、あのころは不況で就職が本当に大変だった。おそらく◯活と付けることで、部活のように一体感を高めて、みんなで一緒に頑張ろうとする思いがあったのではないかと思います。
石原 なるほど。部活は一種の人生におけるツールみたいなものなのですね。
辛酸 スウェーデン人と韓国人の若者に別々に取材したら、みなさん日本の部活動が羨ましいと言うんですよ。海外では日本のように放課後にみんなで集まって練習する国はあまりないようなんです。スポーツはするけど、体育の一環みたいな位置づけで。目標に向かってワンチームで頑張るみたいな気質は、日本人が昔から持っているようにも思います。
石原 ◯活がここまで広がって、日本語の便利さというか、日本語が持つ適当さを再認識した感じがあります。なんでも「活」が付けられるなと。ケータイにしろパソコンにしろ、日本人は流行ってくるとなんでも4音に短縮しがちですよね。◯活の並びを見ても、大体4音です。