本郷和人 源頼朝が「軍事的天才」弟・義経を追討することになったワケ。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』キーパーソン源義経の「失敗」

東京大学史料編纂所・本郷和人が分析<前編>
本郷和人

武家における「奉公」の意味

しかし、これがまずかった。当時の頼朝が、なにを構想していたかというと主従制。主従制とは主人と従者の関係。これを構築することが彼にとっての最大の課題だった。

71xMGk4lZZL.jpg『失敗の日本史』(中公新書ラクレ)

「主人と従者という意味なら、平安時代における朝廷の天皇と貴族の関係も主従では」などと思われたかもしれません。

武家の主従制のどこがオリジナルかというと、それは「命懸け」にあった。主人が従者に御恩を与える。従者は主人のために奉公をする。これが主従関係の基本ですが、武家の場合は、その主人に従う際に命懸けの奉公を行うことになるのです。具体的にいえば、戦争に出て、命を投げ出すことになる。

ここはよく勘違いされるところですが、戦場に出て敵の首(しるし)を取るなどして手柄を立てる、ということが奉公ではないのです。

そうではなく、将軍の馬前で、つまり将軍が見ているところで討ち死にを遂げる。それでいい。手柄を立てることではなく、自分の身を犠牲にして、献身的な振る舞いをすることだけで、それで十分に命懸けの奉公として数えられることになります。

それをやってくれると、たとえば源頼朝のような「主人」は、その死んだ武士の、残された家族などが所属する「家」にごほうびを与えて報いる。具体的には土地を与えることになるわけです。

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