本郷和人 源頼朝が「軍事的天才」弟・義経を追討することになったワケ。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』キーパーソン源義経の「失敗」

東京大学史料編纂所・本郷和人が分析<前編>
本郷和人

義経がしでかした失敗とは

ひとつは、義経が政治的に幼稚だったということが考えられます。

190f2879d4c3a0e9b46c733c2067618ff8604ebb.jpg探幽「義経群高松図」一部。香川県高松市付近で源義経が火を放ち、平家に勝利したという故事が描かれている。東京国立博物館所蔵、colbase

義経は軍事的には非常に有能でした。兄の頼朝にしてみれば、自分にとって代わられるリスクがありますから、そのように有能な弟は、なにも瑕疵(かし)がなくとも、なるべくだったら排除したい。「自分が政権の座にいるために、義経を排除する」。これは政治的には当たり前の考え方です。

頼朝にしてみれば、義経がヘマをしでかすことを待っていた。

もしなにもないのに殺してしまうと、家来たちに「うちの頼朝さんは、肝っ玉の小さいやつだ。これでは俺たちも安心して仕えることはできないな」と思われてしまう。だからさすがに意味もなく殺すわけにはいかず、義経がヘマをするのを待っている状況だったわけです。

そうしたら義経がまんまとやらかしてしまった。なにをやらかしたかというと、後白河上皇から官位、官職をもらってしまったのです。

それは位階で言うと五位、官職では検非違使尉(けびいしのじょう)。警察の高級官僚というようなところですね。トップではないが、警視庁の中の偉い人。キャリアの高級警察官僚というような位置づけです。

それで彼のことを判官(ほうがん)と呼ぶわけです。「判官びいき」の判官の語源ですが、検非違使の長官は「かみ」、次官は「すけ」、3番めの「じょう」=尉が判官と呼ばれるのですね。ちなみにさらに次は主典(さかん)。一方、五位は大夫(たゆう)と呼ばれます。つまり義経は大夫判官(たゆうほうがん)という官職をもらったわけです。

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