次は私がコンピュータと対局します!

清水女流vs.「あから2010」戦のその後を考える
米長邦雄(日本将棋連盟会長)×梅田望夫(ミューズ・アソシエイツ社長)

梅田 僕も将棋ファンの一人ですが、将棋の内容も見ずに、「勝った」「負けた」だけが論じられてしまう今の状況で、スポンサーもつかずに、トッププロがコンピュータと戦うのは賛成できません。
 会長が五年前に危惧されたように、しっかりと舞台を整備していかないと意味のある戦いにならないと思うんです。いい加減な舞台とルールで、中途半端な結果は出すべきでない、という会長のお考えには強く共感します。
 それに「もっともフェアな戦いができるルールを考える」ことは、それ自体がとても知的に興味深い問題ですよ。
 先日、森下卓九段がコンピュータ戦の持ち時間について面白い話をしていたんです。「ここでは永遠に考えたい」ということを人間にはOKにしてもらいたいと(笑)。勝負所でヒューマンエラーをなくしたいという意図だそうです。これは案外フェアなルールかもしれませんよね。

米長 江戸時代の将棋は、一局を一週間や一ヵ月かけて指していたんですね。考えられるだけのことは考えて、「この手が最善手だろう」と結論が出たときに一手指す。確かにそのルールならコンピュータに負けても納得すると思います。朝十時から、夕方の五時まで対局。まあ夕飯のときには一杯やってね(笑)。それでまた次の日の朝、将棋盤の前に座るわけです。興行の観点からすると成り立たないでしょうけれど、一つのアイデアではありますね。

梅田 ネット上では、「脳と同じ重量のコンピュータじゃなきゃダメということにする」とか、「プログラムの改良なしで七番勝負」とか、面白いアイデアがたくさん出ています。とにかく時間をかけながら、天王山にふさわしい舞台を作っていく。そしてそのこと自体を楽しむ。それが一番だと思います。
 実際、こうした人間 vs.コンピュータの物語を作るプロセス自体を面白いと感じて、スポンサーがつくことだってありうると思うんです。あるいは、人間 vs.人間の戦いではパッとしなかったけれど、人間 vs.コンピュータの物語の中で、自分を活かしていこうと考える棋士が出てくるかもしれません。

コンピュータ戦から得られるヒント

梅田 今は「新聞社がスポンサーになっているタイトル戦を日本全国を回りながら戦う」というのが将棋対局の伝統になっていますが、違う形だってあると思うんです。たとえば、お正月のテレビ番組では、「脳内将棋」というプロ棋士同士が目隠しをして対局をする企画がありましたね。あれはすごく面白いと思うんです。盤面を頭の中ですべて再現できてしまうという棋士のすごさがビジュアル的に伝わってくるし、智慧を絞り出そうとする表情を見ているのもマラソンを見ているかのような魅力がある。この「脳内将棋」にスポンサーがついてタイトル戦ができたり、テレビ局が番組枠を作っても構わないわけですよね。

米長 もちろん構いません。今の将棋界はあらゆることに対してオープンです。だからコンピュータだって、「仲間」という認識なんですよ。

梅田 コンピュータが合議制を採用してきたなら、人間も合議制で指す団体戦をやってみるのはどうでしょう。

米長 まあ、人間同士だと合議制を採ると、おそらく弱くなると思いますね。「お前これじゃ詰まされるぞ」とか見落としを指摘し合うことには意味があると思いますが、私が経験した感覚で言えば、プロ棋士が「ああ、そうだろうな」と納得する手を指しているようではタイトルは取れないんですよ。プロ棋士が「え? そんなことやるの?」という手が出ないと勝てないんです。でも合議制ではそういう手は採用されないでしょうから。

梅田 なるほど。羽生さんの将棋にはそういう手がよく出ますものね。確かに人間同士の合議制は、将棋の質の向上にはつながらないかもしれません。でも、興行としてありうると思うんです。コンピュータの読み筋が公開されたように、人間もどうやって四人が次の指し手を決めるのか、すべての読み筋を公開しながら丸一日かけて対局するイベントなんて面白いじゃないですか。
 そういう興行のヒントも対コンピュータ戦には隠されているように思うんです。

(了)

〔『中央公論』2011年1月号より〕

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