私は永世棋聖として必ず立って戦います

米長邦雄(日本将棋連盟会長 )×梅田望夫(ミューズ・アソシエイツ社長)

 でも、もし6二玉と指したらどうなるのか、どうしても知りたくなってしまったんですね。まあ、本番の一月十四日が過ぎてしまえば、何を言っても詮無いことです。だから、戦いが始まる前に、本人同士による局面指定のエキシビションマッチを組んだのです(このエキシビションマッチは十二月二十一日に「将棋倶楽部24」にて行われた)。

梅田 通常の局面でいわゆる「悪手」を指しても意味がないわけですよね。

米長 そうですね。ただ定跡を外しても、コンピュータはそれを的確に咎めることができます。コンピュータ相手にデータを外すのは、序盤も序盤の初手か二手目しかないんですね。
 私が最善手を指すと、コンピュータはその最善手に対する応手を指してくる。それは分かりました。でも私がまったく最善手でない手で、しかもそれが過去のデータにない手を指したときに、コンピュータは自分で手を作りださなくてはならない。はたしてそれができるのかどうか。本番での勝負とは別に、私はそれが知りたくなってしまったんです。
 今までとまったく違う世界に入るので、王様をどこへ持っていったらいいのか、飛車をどうしたらいいのか、どう陣形を組み立てれば形勢がよくなるか、分からない。ある程度強い人間なら一分で答えが出ると思うんです。「コンピュータよ、おまえさん、それが分かるかい?」と問いかけたかったということですね。

この対局は異種格闘技戦!?

梅田 うーん、これはかなり本質的な問題だと思います。つまり、「人間 vs.コンピュータ戦」は一種の異種格闘技戦かもしれないということですね。これまでは、人間が指しても、コンピュータが指しても、基本的に「将棋」という同じルールの上で対戦するのだから、同一競技の中で強さを競っていると考えられていました。
 けれども、米長会長が本気になってトレーニングをし、対戦相手であるコンピュータソフトを研究し、勝つための戦略を分析したところ、「どうも人間の指す将棋とコンピュータ将棋は、低いレベルではたまたま交錯している部分もあるかもしれないけれど、トップクラスでは、まるで違うものだった」ということが証明される可能性がある気がします。
 会長はよく、「私が勝てば、人間の能力がコンピュータの能力よりも優れていたことを証明することになるんだ」と言いますね。その「人間が持っている能力」とは、言い換えれば「大局観」だと思うんです。「できるだけ手数を読まずに答えに辿り着く芸術」みたいなものが人間の目指す境地だとすると、コンピュータは反対にとにかく計算速度を高めて徹底的に全部を読み尽くそうとしている。これは、もしかしたら、同じ答えに近づくために違うアプローチを取っているというよりも、そもそも正反対の方向へ突っ走っていて、交わることはない「別の競技」をしていたということになりませんか。

米長 一言で言えば、「答えが一つしかない」世界では、コンピュータは絶対的に強いんですよ。ですから、王様が詰むか詰まないかという局面では、コンピュータはほぼ無敵です。コンピュータの一秒と僕の一時間では、コンピュータの一秒のほうが速いくらいです。ただ、「答えが二つある」世界ではコンピュータは迷うんですね。あるいは間違える。
 はたして将棋というものが、「答えが一つしかない」のか、「答えが二つ以上ある」のか、私には分かりませんが、今回のコンピュータ棋戦はそうした問題にヒントを与えてくれるかもしれませんね。

梅田 米長会長のお話をうかがっていて、アントニオ猪木とモハメド・アリの戦いを思い出しました。あの異種格闘技戦では、お互いが譲らず、最後の最後までルールで揉めました。結局、猪木はリングに寝転び足で蹴り続け、アリは殴ることができないままリングの上をぐるぐる回り続けるという観客としては観ていて面白くない戦いになったわけです。あの試合が実際のところどのくらいシリアスな勝負だったかはともかくとしてね。

米長 なるほど。そういう意味で言うならば、「永世棋聖が将棋盤の前に寝転がって、足をバタバタやってまで勝ちたいのか」と、こう言われるのは私には耐えられません。ですから、本番ではやっぱり立って勝負をしなくてはならない。

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