『ディズニーと動物――王国の魔法をとく』清水知子著 評者:木下こづえ【新刊この一冊】

木下こづえ(動物保全生理学者)
『ディズニーと動物――王国の魔法をとく』清水知子著/筑摩選書

評者:木下こづえ

 幼い頃からディズニー作品に出てくる動物たちが好きだった。私が動物好きになったのは、ひとえにディズニーマジックによるものなのだろうか? そんな疑問を明らかにしたくて、本書を手に取った。

 本書は、筑波大学のメディア文化論の講義をもとに執筆されたものである。20世紀から21世紀へ時代が変化する中で、ディズニー作品に出てくる動物たちが、政治、社会、文化、自然に何をもたらしたのか? 作品の時代背景と共に詳細に分析されている。

 ディズニーに出てくる動物たちは、本書が紹介するように「自らの意志で考え、決断し、行動しているように見える」リアリティがある。過去に私が日本語訳の監修をした『ディズニーネイチャー/ボーン・イン・チャイナ』も、ドキュメンタリーながら、まるで野生動物がカメラの前で演技をしているかに見える映像技術に圧倒された。これは本書でいう「戯画化されたリアリズム」とわかってはいても、そのドラマに感動し、監修しながらもラストシーンに涙した。ウォルト・ディズニーは、興味深い描写をし、写実的であると同時にドラマ性を打ち出すことで、自然科学に知識がない人にも楽しみながら自然の営みを学んでもらいたい、と語っていたと本書は紹介している。

 一方で、一般論として、擬人化には明暗の両方があるとされている。山極寿一著『ゴリラからの警告「人間社会、ここがおかしい」』の一節に、「日本人研究者は動物のやり取りを描写し、彼らの社会的な知覚力を推測してきた。しかし、その手法は動物が人間のような心を持つとみなす誤った考えであると欧米研究者から批判を受けた。西洋の昔話では、人間と動物の間に境界線があるのに対し、日本の昔話では、動物が人間になって仕事をしたり結婚したりする」とある。たしかに、ディズニー作品でも、プリンセスは小鳥と歌を歌い動物たちと心を通わせるが、あくまで「人間」と「動物」として一線を引いたまま彼らと関わり、その関係性は人と人のように決して対等ではない。ミッキーマウスの世界でも、白い手ぶくろをつけた動物(擬人化された動物)ともの言わぬ裸の動物(犬のプルート)が共存し使い分けられている。スタジオジブリ作品の『もののけ姫』のように、人間と動物の関係性が対等なまま物語が進む作品は稀かもしれない。また、『ライオンキング』『バンビ』のように、動物主体の作品では、手塚治虫作品の『ジャングル大帝』とは異なって、人間のいない手つかずの自然を描写する傾向があることを、本書によって気づかされた。

 考えてみれば、私はディズニー作品においては、プリンセスよりもその周りにいる動物たちを見るのが好きだった。人間(プリンセスや王子)とは違う形で、多種多様な動物たちが、それぞれに特有の能力を発揮する姿に惹かれていた。きっとそれは、人間/動物を分ける二元論的思考の描写によって、人間(自分)とは異なる多様な動物たちの「姿」や「行動」に魅了されていたのかもしれない。そうであれば、作品を通して動物たちの多様性を知り、ディズニーマジックによってその魅力にとりつかれたために、今の私があると言えるのかもしれない。本書を読んで、幼い頃に見たディズニー作品を新たな視点で見返したくなった。

 

(『中央公論』2021年9月号より)

中央公論 2021年9月号
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木下こづえ(動物保全生理学者)
〔きのしたこづえ〕
1983年兵庫県生まれ。京都大学野生動物研究センター助教。神戸大学大学院農学研究科資源生命科学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。ドキュメンタリー映画『ディズニーネイチャー/ボーン・イン・チャイナ─パンダ・ユキヒョウ・キンシコウ─』日本語訳監修。
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