『推しの子』 赤坂アカ(原作)/横槍メンゴ(漫画)【このマンガもすごい!】

杉田俊介
『推しの子』 赤坂アカ(原作)、横槍メンゴ(漫画)/ヤングジャンプコミックス(集英社)

評者:杉田俊介

『推しの子』のタイトルにある「推し」とは、芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』でも話題になったように、たんなる「好き」にとどまらず、人生をかけて没入するような対象(アイドルやキャラクター等)のことである。

 かなり奇妙な設定の作品だ。宮崎県の産婦人科医ゴローが、ある日出会ったのは、彼が熱烈に推すアイドル、星野アイだった。妊娠中だという。ショックを受けつつも彼女の出産を支えようとするゴローだったが、アイの出産直前に、何者かに殺されてしまう。そして彼はなぜか、アイが産んだ双子の一人、アクアとして転生する。双子の妹ルビーも、12歳で死んだアイドル好きの少女の生まれ変わりだった。その後アイは二人を密かに育てつつアイドルとして絶頂を迎えるが、ストーカーに刺されて死亡。高校生になったルビーは母と同じアイドルを目指す。アクアは妹の夢を支えつつ、母の殺害に関与したと思しき謎の実父の正体を探っていく。

 この複雑な設定が何を意味するかはまだわからない。だがアクアの特徴は、成熟した大人の心を持ちながら、「憧れ」を抱く若者たちにも共感しうる、という両義的な立ち位置にある。本作には赤坂アカが作者の『かぐや様は告らせたい』と同様、テレビ業界、アイドル業界、漫画業界などの「嘘と打算」に対するリアリズム的な冷めた目線がある。「アイドルを夢見るのは構わんけどさ/アイドルに夢を見るなよ」。この現実では捏造・誇張・隠蔽は当たり前だ。ならば頑張って努力して全力で嘘を吐く。それが虚像としてのアイドルの「とびきりの愛」(本当)だろう。

 アクアはニヒリストに見える。しかし、たとえばリアリティショー編では、炎上によって自殺寸前に追い込まれた仲間の少女を積極的に救い出す。35歳のプロデューサーは、視聴者好みの過激な演出は当然であり、番組に参加したのは彼女の自己責任だ、と主張する。それに対しアクアは言う。ガキなんて間違いばかりの存在であり、「大人がガキ守らなくてどうすんだよ」。

 もう一つ、これも『かぐや様』と同じく、『推しの子』にはノブレス・オブリージュ(高貴さの義務)的な姿勢がある。不平等な世で若者たちは「容姿やコネクションを生まれた時から持ち合わせていたら」と感じているかもしれない。恵まれた奴らが羨ましい。何もかもが不公平で汚い、と。この現実が打算で成り立っている、それは否定しない。だが成功者の多くも必死に努力し続けているし、大多数の大人たちもクソみたいな状況を少しでもマシにしようと懸命に尽力している。この現実のそうした側面を信じ直せないか。

 アイドルや漫画の煌めきを「推す」とは、愚劣で虚偽だらけの世界の中でそれでも必死に生きる人々が確かに存在すること、それを信じることだ。その喜びだ。「こんな前も後ろも真っ暗な世界で/一緒にもがいてた奴が居たんだって分かって/それだけで十分」。だから推せ。この世界が存在することそのものを推せる人間になれ。そんな大人としての責任を感じる『推しの子』を、私も「推す」。

 

(『中央公論』9月号より)

中央公論 2021年9月号
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杉田俊介
〔すぎたしゅんすけ〕
批評家
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