『クジラの骨と僕らの未来』中村玄著 評者:田島木綿子【新刊この一冊】
評者:田島木綿子
著者とは何回か大型クジラの調査現場でご一緒したことがある。端整な顔立ちでどちらかというと「静」のイメージが最初に来るのだが、調査時の動きに無駄はなく、どんなことにも興味深く積極的に取り組む姿勢は、第一印象とはかけ離れたものであった。
長年感じ続けたこのギャップは、本書によって解決することになる。身近にいるどんな生物にも興味を持ち、疑問を抱き、それを自ら解決していこうとする姿勢は、そうかあ、幼い頃から培われていたのかと納得するのだ。小学校4年生の時、ペットショップのグリーンイグアナに一目惚れし、その生態から飼育方法まで色々と調べ始める。中学生になると、「ハチュウ」というあだ名が付いてしまうほど、爬虫類に没頭する。その没頭具合は、本を読み漁るだけでは飽き足りず、自分で飼育し、死んだ個体は自ら解剖し内部構造までも理解しようとするほどだ。魚を捌くのも気持ち悪いと思うヒトがいる一方、著者のように自ら進んで様々に解剖するこの違いはどこから生まれてくるのであろう。中学時代の恩師も印象的で、ウシの内臓を使って実習をする、女ドリトル先生と呼ばれるこの理科教師との出会いが著者の生物好きに拍車をかけることになる。その後、第二志望の私立高校に進学するのだが、無類の生物好きという著者の噂は近所や学校中に知れ渡り、黙っていても様々な情報や生物が著者の下に集まってくるようになる。これまで飼育した動物は、哺乳類、鳥類、魚類はもちろんのこと、クワガタ、カイコに至る41種が列挙されている。そんな中、著者の探究心は国内では事足りず、高校2年生の2月から、南米アルゼンチンに1年間留学する。ここで南米特有の齧歯類について分類学を研究。博士号取得後には同国を再訪し、世界的に有名な、ウシュアイアにあるナタリー・グドール氏のプライベートクジラミュージアムも訪問している。私も訪れたことがあるが、世界的に珍しいクジラの骨格がゴロゴロ陳列される貴重な場所である。
南米から帰国後、様々な興味深き生物の中から、高校の先生の薦めもあり、海洋生物に特化した東京水産大学(現・東京海洋大学)へ進学する。恩師の教えもあったのだろうが、この大学選びの描写がもう少し細かく紹介されていると、進路選びに悩む中高生にとって、より参考になったのではないだろうか。大学進学後、多種多様な海洋生物の中から、鯨類に魅了されていく。
本書で紹介されているその理由の一つが、我々と同じ哺乳類であること。そうなのだ、私も海の哺乳類専門家として、そこに大きな魅力を感じている一人である。大学時代は調査捕鯨船の調査員になったり、博士号取得後は国際学会で受賞したり、同大学の教員となった現在まで、著者は鯨類の研究や調査を続けている。調査船での生活や南極という極域の情報など普段は知ることができない様々なことを本書で紹介してくれているのは興味深い。
本書は、幼い頃好きだったことを、好きだけにとどめず、どうしたら将来に繋げていけるのかを考える時に非常に参考になる1冊ではないだろうか。今度現場で著者に再会できたならば、今はクジラ以外のどんな生物に興味を持っているのかと聞いてみたいものである。
(『中央公論』2021年12月号より)
1983年埼玉県生まれ。IWC(国際捕鯨委員会)科学委員会委員。東京海洋大学大学院博士後期課程応用環境システム学専攻修了。博士(海洋科学)。専門は鯨類の形態学。共著に『クジラ・イルカの疑問50』などがある。
【評者】
◆田島木綿子〔たじまゆうこ〕
1971年埼玉県生まれ。国立科学博物館動物研究部研究主幹。東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻博士課程修了。単著に『海獣学者、クジラを解剖する。海の哺乳類の死体が教えてくれること』、共著に『海棲哺乳類大全彼らの体と生き方に迫る』(総監修)がある。