「ジャーナリズムには芸術の力が必要」と語ったユージン・スミスを通して水俣を知る 石井妙子【著者に聞く】

石井妙子
『魂を撮ろうーーユージン・スミスとアイリーンの水俣』/石井妙子著(文藝春秋)

ーー本書は米国の著名な写真家ユージン・スミスと、その元妻アイリーンの視点から水俣病を描いています。執筆前は水俣病に対してどのような印象を持っていましたか。

 多くの方が水俣病を社会の時間で習いますよね。私も小、中学校で教わり、その時に受けた、重くて辛い、大変な公害問題、という印象で止まっていました。なんとなく胸が締め付けられて、近づきたくない、詳しく知りたくないという拒否感があった。私に限らず、水俣病という言葉はほとんどの人が知っていると思いますが、だけれど、具体的に人々がどういう目に遭って、どんなことが起こったのか、わかっている人は少ないんじゃないかと思いました。だから、そういう方々に届く本にしたいとの思いで書きました。

ーー水俣病との再会のきっかけが、ユージンの作品を偶然目にしたことだったそうですね。

 14、15年前に、ユージンの写真集を偶然何冊か頂いた時、ものすごく引き込まれたんです。文章も添えられていて、写真以上に惹かれました。芸術の力を感じたんです。捉えているものは悲しい現実だったり、悲惨な病状の方だったりするのですが、深刻さを見せるだけでなくて、アートの力を通して伝えようとしている。対象への配慮や愛、優しさを感じました。ユージンは、ジャーナリズムには絶対的に芸術の力、美が必要だと語っています。それがなければ、伝えたいものが伝わらない、ジャーナリズムが成り立たないとも。これはノンフィクション作品にも言えることではないかと思いました。社会の矛盾、紛争や戦争、病などをテーマにするにしても、ひどさやむごさをどう表現するか、考えを尽くさなければならない。その上で伝えるべきことを伝える。また、表現の基礎は技術なのだと彼の写真を見て思いました。私たちに置き換えると、文章力や構成力。それがないと読者の心に伝わらないのではないか、と。

 ノンフィクション作家に成り立ての頃に、ユージンの作品からそういったことを考えさせられた。同時に、ユージンは、どういう人だったのだろうと興味を抱き、元妻アイリーンさんに会いに行って話を聞きました。二人が過ごした水俣での日々や、二人が撮った水俣とは何だったのか。でも、いつかは書いてみたいと思いながら、そのままにしていた。その後、今から3、4年前に映画化されるというニュースを聞き、久し振りにアイリーンさんに連絡をした。すると、彼女は「ハリウッド映画なので現実をどう変えられてしまうかわからない」、と非常に悩んでいたんです。それを聞いて、事実を書き残したいと思った。結果、映画公開と同時に本を出版することになりました。

ーー本書序盤では二人の家系を遡って綿密に調べられています。

 一つの出来事は縦軸のなかで見ないと本質が見えてこないものです。たとえば、なぜ水俣にチッソの工場が誘致されたのか、なぜ水俣病が1950年代に起こったのか、歴史を遡らないと理解できない。人間の場合も同じで、二人がどうして水俣に行ったのかを語ろうとすると、相当、遡らないとならない。アイリーンはなぜ日本に行ったのか。日本は故郷だから。日本人の血が半分流れているのは両親が国際結婚しているから。それはなぜなのか。遡らないと説明がつかないのです。

ーー水俣病が公式確認されてから今年で65年。過去の出来事という印象を持つ人も少なくないと思われます。

 よく「なぜ今水俣病を書くんですか」と聞かれましたが、今だからこそ、です。コロナ禍でも患者への差別など、同じようなことが起こりました。未知なものに対して人間がどのように反応するか、科学という言葉でどれだけ人が惑わされるか。福島の原発事故やアスベスト問題でも、水俣と同じような間違いが繰り返された。日本社会の構造的な欠点。それが水俣の時に浮き彫りになり、改善された部分もあるけれど、改善されていない部分も多くて、繰り返されている。まさに今と地続きの問題だと思うのです。


(『中央公論』2021年12月号より)

中央公論 2021年12月号
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石井妙子
〔いしいたえこ〕
1969年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。白百合女子大学卒業。同大大学院修士課程修了。お茶の水女子大学女性文化研究センター(現・ジェンダー研究所)に教務補佐員として勤務後、囲碁観戦記者を経て、作家活動を始める。著書に『原節子の真実』(新潮ドキュメント賞)、『女帝小池百合子』(大宅壮一ノンフィクション賞)など。
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