『情報と国家――憲政史上最長の政権を支えたインテリジェンスの原点』北村滋著 評者:船橋洋一【新刊この一冊】
評者:船橋洋一
本書は、日本のインテリジェンス・ツァーとして米国、韓国、ロシアなどの主要国のインテリジェンス機関トップと丁々発止やりあった情報のプロ中のプロによる国家インテリジェンス論である。著者は、民主党の野田佳彦政権、自民党の安倍晋三政権と菅義偉政権の3代にわたって官邸中枢でインテリジェンスと安全保障政策の双方を担当した稀有な経験を有する。
安倍政権の内閣情報官として著者がもっとも情熱を燃やした案件は、特定秘密保護法の制定だった。この法律は、外交、防衛、防諜、テロリズムの4分野における非常に機微な情報について、かなり高い刑罰法規で守られる仕組みを構築するためのものである。
著者はこの法律の制定により「同盟国等相互間における情報交換は量的にも質的にも長足の進歩を遂げた」と述べている。この点については米国の知日派の代表格であるマイケル・グリーン米ジョージタウン大教授が今春出版予定の近刊で日本のインテリジェンス・ガバナンスの観点から、次のような高い評価を下している。
「官邸の下でのインテリジェンス分析の再編は、1930年代と40年代、帝国陸軍と帝国海軍が互いにインテリジェンスの共有を拒否した歴史を考えるとき、日本の戦後のインテリジェンス改革の歴史のうちでもっとも重要なものと言ってもよい」
安倍政権の下、日本の政府も国家安全保障局の設置をはじめ「国家安全保障国家」としての「国の形」を形づくりつつあるが、にもかかわらず、インテリジェンス機構はまだそこに明確に組み込まれていない。
著者は、「内閣情報官は実質的に内閣情報調査室の長であるにもかかわらず、法令上は官房長官や副長官といった官邸要路を補佐するスタッフとされ、まるで個人商店のようです。情報機構としての恒常性を持つ組織にすることが大事だと思います。残念ながら、在任中には実現できなかったですが、それがこれからの課題だと思います」と述べる。
この指摘は重い。政治家によっては内閣情報官を「情報関心」ではなく、「政治関心」に基づく"御庭番"として使おうとするかもしれない。また、現在の「個人商店」型のインテリジェンスは、本来、担保されるべきインテリジェンスの独立性、つまりは政策立案との「垣根」をあいまいにする危険がある。英国の歴史家のイアン・カーショーが名著『運命の選択1940-41――世界を変えた10の決定』で指摘したように、戦前の日本の戦略と統治の失敗の一つが、このインテリジェンスと政策立案の「垣根」の失敗だったこと、そして福島原発事故の背景に「リスク評価」と「リスク管理」の「垣根」の失敗があったことを我々は想起しなければならない。
「インテリジェンスほど、国家作用に激烈な影響を及ぼすものはない」と著者はいう。死活的な安全保障の概念が伝統的な軍事分野に止まらず、経済安全保障へと広がるにつれ、インテリジェンスもまたそれに応じた専門性を備える必要がある。米中対立が激しさを増す中、日本の置かれた状況は一層、苛烈である。「その生き残りに不可欠なのは、正鵠を射たインテリジェンスに基づき考え抜かれた総合的な安全保障戦略である」との著者の主張に、為政者は耳を傾けるべきである。
(『中央公論』2022年2月号より)
1980年東京大学法学部卒業、警察庁入庁。2011年に内閣情報官、19年に国家安全保障局長に就任し、21年7月に退官。日米同盟強化に貢献したとして、20年12月に米国防総省の特別功労章を受章した。
【評者】
◆船橋洋一〔ふなばしよういち〕
1944年北京生まれ。ジャーナリスト。博士(法学)。英国際戦略研究所(IISS)評議員。東京大学卒業後、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、朝日新聞社主筆を経て現職。