河合香織 女性初の東大教授は、覚悟と背中合わせの自由を生きた

中根千枝の遺したもの
河合香織(ノンフィクション作家)

 東京大学で女性初の助手になる時には、「女性は結婚したら、研究をやめちゃう。だから、研究職にしなくていいだろう」と、教授会では反対意見が多数あったという。その時は結婚の予定もなかったし、恩師が強く推薦してくれたため就任できたそうだが、かつては結婚を考えていた男性がいた。相手の男性は外国人だったともいう。だが、母親の反対で許してもらえなかった。あれほど自由に生きたように見える千枝さんが、どうして反抗しなかったのか。

 千枝さんの書くジャングル奥地の恋の描写は澄み渡っていた。親が夢路につく頃になると、恋人が家の近くにやってきて、口笛や草笛を吹きながら恋の時間を持つ。人気のある未婚女性のもとには次々と恋人がやってきて、そのたびにニコニコ応対する。「何人もの恋人が来訪を試みるから、夜は楽しいし、またなかなか忙しい」と彼らの恋の形を千枝さんは生き生きと描く。そしてその光景を、イタリアの農村の恋人が窓の下にてギターでセレナーデを奏でる光景と重ね合わせる。どんな恋の形も肯定した、強く勇ましい女性が落ちた恋は、しかし親の反対という理由で砕け散った。時代なのか、親との関係ゆえなのか、それとも本人の心の問題か。それは聞けないままとなり、考え続ける課題となった。

 結婚を反対された時には従順に従ったが、その後は歯に衣着せずに、嫌なことは嫌だと言う人生を貫いた。贈り物をされても、必要ない物であれば、「持って帰ってください」と突き返したこともあったという。私なども、インタビュー中に「そういうことは話したくないわ」と突然話を中断されたこともあり、肝を冷やした。亡くなる数ヵ月前に入院していた病院では、「いじわるな看護師さんがいてね」と千枝さんが親族に話している時に、看護師が通りかかって「あら、そんな人いるの」と言った。すると、千枝さんは「そうよ、あなたのことよ」と笑ったという。相手が目上の人でも、その姿勢は変わらなかった。

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