レジー ファスト教養とは何か ビジネスに役立ち、成功をつかむためのリベラルアーツ!?

レジー(音楽ブロガー・ライター)

ビジネスに役立つ教養とは何か

 教養を獲得することと、教養をビジネスシーンで活用することの二つについて、田端は後者のために前者を達成すべきだという態度をとっている。本稿で指摘したいのは、このようなビジネスで成功するため(=金を稼ぐため)に教養というツールを使うといった考え方が、ここ数年力を持ちすぎてしまっているのではないか? という点である。

 当たり前だが、金を稼ごうとする行為や意識そのものには良いも悪いもない。誰しも生活するために金は必要であり、程度の差こそあれどんな人でも「稼ぐための努力や工夫」に何かしら取り組んでいるはずである。

 一方で、読書を含む文化に関する行動、さらに言えば「金を稼ぐこととは直接関係しないあらゆる事象」が、ビジネスシーンで使われる道具として位置づけられていくことに居心地の悪さを覚えもしないだろうか。

 1990年代の日本のポップスを愛好している音楽ライターの筆者からすれば、前述のフリッパーズ・ギターの素晴らしさについて語り合うのは楽しいことである。しかしながら、「最近の上司世代は渋谷系が好きな人も多いと思うので、話を合わせるためにフリッパーズ・ギターもたしなみとして聴いています」といった若者ともし出会うことがあれば、強烈な違和感を覚えるだろう。

 また、そんなスタンスで聴いたところで、フリッパーズ・ギターの作品にみられる当時の海外のポップミュージックとの関わり合いや、小山田圭吾や小沢健二が日本のファッションへ与えた影響など、多方面への文化的な貢献に深い関心を持つこともないのではないか(「話を合わせる」ためだけにそこまで掘り下げるのは、コストパフォーマンスが悪いということになるだろう)。

 普段から夏目漱石や三島由紀夫を愛読している人たちも、「教養として読んでみました」というタイプの人たちに対しておそらく同じような感覚を持つはずである。ふとしたきっかけでその音楽や文学に触れて心が動いたことのある人にとって、「ビジネスの場面で役に立てよう」などという打算からの行動は不自然でしかない。にもかかわらず、そういった類いの話が、「ビジネスシーンで役に立つ教養論」では登場することが多い。

 たとえば、ラッパーの晋平太(しんぺいた)が監修した『教養としてのラップ』(2021年)の冒頭部分にはこのように記されている。

「いまやロックやポップスに取って代わり、ポピュラー音楽のメインストリームともいえる人気を獲得しているラップを「教養」として知っておくことは、ビジネスパーソンにとって決して無駄なことではないでしょう。それだけではありません。ラップには、ビジネスシーンでのネゴシエーションや会議でのプレゼンテーションなどでも使える人を説得するテクニックが詰まっているのです」

 ビジネス上のヒントをラップから得ること自体には(得られるのであれば)何ら問題はない。着目したいのは、音楽ジャンルとしての魅力ではなく「ビジネスに役に立つ」という側面にフォーカスしたラップについての書籍が、日本のフリースタイルラップのトップランカーによって書かれていること。そして、それが教養という言葉でまとめられていることである。

 ちなみにこの本の帯に書かれたキャッチコピーは、「圧倒的なフリースタイル・ラップ・スキルを持つラッパーが教える人生が変わるコミュニケーションスキル」。

「楽しいから」「気分転換できるから」ではなく「ビジネスに役立てることができるから」(つまり、金儲けに役立つから)という動機でいろいろな文化に触れる。その際、自分自身がそれを好きかどうかは大事ではないし、だからこそ何かに深く没入するよりは大雑把に「全体」を知ればよい。そうやって手広い知識を持ってビジネスシーンをうまく渡り歩く人こそ、現代における教養のあるビジネスパーソンである。着実に勢力を広げつつあるそんな考え方を、筆者は「ファスト教養」という言葉で定義する。

 ここでの「ファスト」という言葉には、いわゆる「ファストフード」での用例と同じような「栄養バランスを多少損ねるのと引き換えに摂取しやすい形になった(=大雑把に全体を把握するために「表面的」な説明になることも厭わない)コンテンツ」としての意図を込めているのに加えて、ダニエル・カーネマンが『ファスト&スロー』で提示している二つの思考モードを参照している。

 カーネマンは「直感的で速い思考」をシステム1(ファスト)、「論理的で遅い思考」をシステム2(スロー)として、この二つのシステムによって人間の自己が形成されていると説明している。熟慮せずに「金を稼ぐのにつながるならば良いことに違いない」という考え方に沿って行動する態度にシステム1とつながる部分があると解釈して「ファスト」を冠した。

中央公論 2022年4月号
電子版
オンライン書店
  • amazon
  • 楽天ブックス
  • 7net
  • 紀伊國屋
  • honto
  • TSUTAYA
レジー(音楽ブロガー・ライター)
〔れじー〕
1981年千葉県生まれ。一橋大学商学部卒業。一般企業で事業戦略立案やマーケティングに関わりながら、社外で音楽を中心としたカルチャー全般に関する批評や分析を行う。著書に『夏フェス革命』、『日本代表とMr.Children』(宇野維正氏との共著)。
1  2