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『ちくまさん』 西村ツチカ著 評者:川勝徳重【このマンガもすごい!】

川勝徳重
『ちくまさん』 西村ツチカ著/筑摩書房

評者:川勝徳重

「読書速度を計測中」「ここは19人がハイライトしています」「ここは198764人」「読み終えたらレビューを書きましょう」「1日の読書目標を達成しました」「この本を読んだ人はこんな本も読んでます」

 既視感のある方も多いと思う。Amazon提供の電子書籍アプリ及びその専用デヴァイス使用中に頻繁に出くわす文句だ。従来の読書は著者と読者の対話といった趣があったが、電子書籍の普及はそれを過去のものにした。プラットフォームを提供する大企業は読者の読む速度、嗜好、読書習慣を把握し、レビューというコンテンツの拡充の無償労働へ誘導する。

 冒頭の文句は西村ツチカ『ちくまさん』に収録された28ページの描き下ろし短編「きょうのひと」からの引用だ。この短編は百貨店のバックヤードでレジ打ちの仕事をしている女性が主人公である。

 彼女は日々の労働に疎外感を覚え、短い休憩時間の読書でそこから抜け出そうとしているが何かと邪魔が入る。ある日はスマートフォンに気を取られて、またある日は同僚に自己啓発書を勧められて妨害される。彼女は仕事もうまくいかず、1冊の本も読み終えられない。

 そんな彼女のもとに擬人化されたアリクイが現れる。「ある画家」の絵のモデルになって欲しい、無報酬だが本を読むだけでいい、と誘われてはじめて本を読み切ることができる。

 本書の大部分を占めるのは、筑摩書房のPR誌『ちくま』に3年間連載された8コマ漫画と表紙絵の再録だ。「落ち葉を裁縫するひと」「バードレコーディングのひと」など、空想的な仕事が淡い色彩で描かれている。表紙絵はユニークで、一画面に異なった遠近感を持つオブジェクトを複数配置することで、消失点に視線が集約されない空間が指向されている。とはいえアイレベルを比較的守る、色彩の変化でリズムを作るなど、様々な工夫が施してあるため、見づらいということはない。迷路のように一枚の絵の中で目を泳がして楽しめる。

 そして画面の中の彼女は、一所懸命だったり困ったりしながら仕事をしていて微笑ましい。ほとんどが横顔で描かれ、目も眉の一本線で表されるためはっきりとした表情はわからないものの、どこか充足している様子だ。シリアスな内容の「きょうのひと」があるからこそ、メルヘンな絵柄も含蓄あるものに見える。

 西村の前作『北極百貨店のコンシェルジュさん』は、主人公のコンシェルジュがトラブルを抱えた客に寄り添うことでケアする話であった。では「きょうのひと」におけるケア役は誰か。それは漫画内に姿を現さずアリクイの言葉によってのみ存在が仄めかされる「ある画家」だ。それはおそらく西村のことであり、彼は彼女に魅力的な仕事をさせることで、労働疎外から救い出そうとしている。その点で本書はコンセプチュアルかつ、倫理的な一冊である。


(『中央公論』2022年4月号より抜粋)

川勝徳重
漫画家
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