『核兵器について、本音で話そう』太田昌克/兼原信克/高見澤將林/番匠幸一郎著 評者:先崎彰容【新刊この一冊】
ロシアによる凄惨なウクライナ侵攻が展開されているが、人はどういう事態をもって「危機」と言うのだろうか。一つの答えは、自明の前提と思われた秩序が瓦解し、眼の前の事象が混迷した場合である。人間は言葉を操る生き物なので、混迷を言語化することで世界を理解したいと願う。しかし従来の言葉が通用せず、事態をどう理解したらよいかわからなくなったとき、精神の羅針盤が狂ってしまったときに、人は「危機」を痛感する。
欧米諸国が「第二次大戦後、最大の国際秩序の危機」だと叫ぶのも、この理由による。日本の場合、戦後支配的だった秩序感覚に、はじめて冷たい刃が突きつけられたのが、今回の「危機」ではないか。そしてよくよく周囲を見渡してみると、驚くようなどす黒い光景が広がっていたのではないか。
本書は、戦後タブー視されてきた「核兵器」という課題について、国際情勢と「危機」の本質を冷静に分析しながら、日本のあるべき将来像を描いた安全保障論である。特に台湾、北朝鮮、ロシアに関する詳細な議論が行われている。
4名の識者の座談会で、まず注目すべきは、歴史的経緯もふまえて広角的な議論が展開されていることだ。核をめぐっては、戦後、米ロを中心にした二極時代は完全に終わり、近年の様相は、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮などが参入した「多極化」を特徴とする。また、核兵器と通常兵器の境界線が曖昧になり、複雑化している。つまりこれは、いずれの国家も偶発的戦争、核兵器使用のリスクにさらされているということでもあるのだ。このことをふまえ、より具体的な議論を見てみよう。
例えば東西冷戦下、西ドイツは非核国であるにもかかわらず、左派のシュミット首相がワルシャワ条約機構との軍縮交渉と、NATO(北大西洋条約機構)加盟国への米国の核兵器配備を同時に進める二正面作戦を行い、核抑止を成功させた。しかし、同じ敗戦国の日本は東西分裂を回避した代わりに、国内で保革の対立構図が続いてしまった。結果、親米保守と革新左翼が常に対立し、「アメリカの核の傘」を求める保守自民党と、ソ連を理想化し、自衛隊を認めない左翼が、生産的な核抑止論議を阻んできたのである。核抑止と核廃止の議論が一切噛み合わないまま、理想論だけが新聞紙面を飾る状況が続いてきた。
そして、米ロが中距離核戦力を牽制し合っているうちに、中国が急速に中距離核ミサイル開発を進める。極東では今や、著しい中距離ミサイル不均衡が起きている。日本のみが中距離ミサイルを持たず、丸腰のまま過ごしてきたのだ。
では、どうすればいいのか。中国の脅威と米中対立の狭間で、日本は米国の中距離ミサイル、しかも核/非核いずれにも使用できるミサイルを配備すべきなのか、否か――。4名の識者による意見の激突は極めて面白い。外交交渉による解決こそ先行すべきで、核配備の議論などもっての外なのか。いや、逆に最悪の事態を想定してこそ、その先の地獄が見えるから、小競り合いの段階で止める、これが安全保障の極意なのか。混迷した世界情勢、とりわけ極東アジア情勢を言語化して整理し、「危機」を冷徹な眼で見るためのヒントに満ち溢れた一書である。
(『中央公論』2022年6月号より)
◆兼原信克〔かねはらのぶかつ〕1959年生まれ。元国家安全保障局次長。
◆高見澤將林〔たかみざわのぶしげ〕1955年生まれ。元軍縮会議日本政府代表部大使。
◆番匠幸一郎〔ばんしょうこういちろう〕1958年生まれ。元陸上自衛隊西部方面総監。
【評者】
◆先崎彰容〔せんざきあきなか〕
1975年生まれ。東京大学卒業、東北大学大学院博士課程単位取得修了。博士(文学)。専門は近代日本思想史、日本倫理思想史。『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『国家の尊厳』など著書多数。