小林元喜 抗い難い魅力をもつ野口健の実像【著者に聞く】

小林元喜
『さよなら、野口健』小林元喜著/集英社インターナショナル

──本書はアルピニスト、環境活動家である野口健さんの人物評です。ご執筆にあたって意識したことは。

 最初の原稿はヨイショ本とか、非の打ち所がない人物のサクセスストーリー風になりそうでした。しかし、それだと評伝として成立しないと思い、いかに批評性をもたせるかを意識しました。構成上、自分の話をどこまで出すかも迷ったのですが、彼と僕の二人の人生の絡み合いや関係性を書くことによってしか表現できないことに気づき、ならばすべてを曝(さら)け出さなければ伝わらないと思いました。本の前半は、野口さんの半生を客観的に振り返るような構成になっていますが、そこは様々な人に取材して、オーソドックスなノンフィクションの手法を取っています。

──野口さんは1999年、25歳で七大陸最高峰登頂の世界最年少記録(当時)を樹立します。帰国後の記者会見で、次はエベレスト清掃登山をするとの意外な発表をしました。

 そうですね。野口さんは学生時代、報道カメラマンになりたかったこともあり、就職活動で毎日放送を受けたりしていました。この時点では会社員として食べていくという選択肢があったわけです。けれども、結局毎日放送は落ちてしまい、その時に、エベレスト登頂が叶った暁には勤め人ではなく個人として生きていくと決めた、と話されていたのが印象的でした。

 21世紀は「環境の世紀」だというフレーズが出てくる前に、その匂いを敏感に嗅ぎ取り、自分の能力がどこでなら発揮でき、社会に貢献できるのかをわかっていた。嗅覚と実行力は、20代前半からすごかったのだと感じます。

 エベレストのごみの問題は昔からあって、それを彼みたいにしっかり打ち出して、組織立ててプロジェクトにできる人はいなかった。また、他のアルピニストがするような未踏ルートや無酸素、冬季単独といった挑戦は、自分にはできないということを彼は極めて冷静に分析していて、臆病なくらい慎重な人でもあります。その証拠に野口隊のメンバーは、シェルパやカメラマンを含め、遠征中に誰も死んでいない。

 そのあたりの慎重さ、引き返せるところが、本書にも登場する栗城史多(くりきのぶかず)さんとは異なると思います。もちろん似ている部分も多くて、他者を巻き込み、スポンサーを見付けるのが得意。ルックスもいいですし、話が上手なので、登山という世界に一般の人の興味を向かせることに関しては、この二人に敵う人はいないのではないでしょうか。


──野口さんのマネージャーを計10年務めていらっしゃいました。振り返ってみて、どんな関係でしたか。

 一種の共依存だと思いますが、放っておけなくなるというか、出会ってから彼について考えない日はないぐらいです(笑)。僕ほどではないものの、彼も僕を頼りにしていて、それがうまく噛み合っている時にはお互い150%のパフォーマンスを発揮するんです。

 ただ、無敵になるか、滅びるかみたいな感じで、互いの関係性に中間がないんですよね。気性の激しさや敏感さも似ています。さっきあの人がこういう発言をしたのはこういう心境からだろうといった、感情の機微の捉え方は寸分違わず一緒でしたね。

 本にも書きましたが、ある時から野口さんは非常に情緒不安定になってきた。安吾賞や植村直己冒険賞を受賞し、エベレストをチベット側からも登った2007年頃からでしょうか。その時期は収入も最高で、スポンサーや事務所スタッフも一番多かったんですよね。

 彼は調子がいい時こそ不安そうでした。当時の口癖が「こんな状態がずっと続くわけがない」「絶対落とし穴があるぞ」で、自分に言い聞かせるようでした。恐らく有名になっていく孤独や不安があったのだろうと思います。

 現在の関係は、一緒に食事をすることもあるぐらいで悪くないです。ただ、野口さんには抗い難い魅力があって、話しているうちにまた事務所に戻りそうな自分がどこかにいて、それだけはマズいなと(笑)。だからこそ、本のタイトルは『さよなら、野口健』にする必要があったとも言えます。

(『中央公論』2022年9月号より)

中央公論 2022年9月号
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小林元喜
〔こばやしもとき〕
1978年山梨県生まれ。ライター。法政大学卒業、早稲田大学大学院公共経営研究科修了。作家・村上龍のアシスタントを経て、東京都知事(当時)の石原慎太郎公式サイトの制作・運営を行う。野口健のマネージャーを計10年務めるが、その間、野口健事務所への入社と退職を3度繰り返す中で、様々な職を転々とする。現在はベンチャー企業に勤務。本書が初の著書。
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