令和4年谷崎潤一郎賞発表 『ミトンとふびん』吉本ばなな
本年は第58回を迎え、令和3年7月1日より令和4年6月30日までに発表された小説および戯曲を対象として、選考委員による厳正な審査を重ねてまいりました。その結果、上記のように吉本ばなな氏の『ミトンとふびん』を本年の受賞作と決定いたしました。
ご協力いただきました各位に御礼を申し上げますと共に、今後いっそうのご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
令和4年10月10日 中央公論新社
(『中央公論』2022年11月号より)
【受賞作】
ミトンとふびん
吉本ばなな(新潮社)
〔正賞〕賞状
〔副賞〕100万円、ミキモトオリジナルジュエリー
[選考委員]
池澤夏樹、川上弘美、桐野夏生、筒井康隆、堀江敏幸
選評
池澤夏樹
●ミトンとふびん
素粒子物理学に「弱い相互作用」という概念がある。それを人間関係に応用してよければ、これら六つの短篇の中の人々は互いに「弱い相互作用」によって結ばれているように見える。
語り手はもっぱら若い女性。ちづみだったり、ゆき世だったり、しじみだったり、アソコだったりする彼女らは決して激情に駆られない。泣きはするが号泣はしないし、深い絶望にも落ち込まない。ひたひたと潮は満ち、また引いてゆく。
話の始まりに喪失がある。母や親友を死に奪われるなど、何かを失ってその後の空虚を扱い兼ねている。そこからのゆるやかな回復がどの話でも主題で、それは旅先で出会う人たちや、身辺の小物、食事と酒、空の色などの「弱い相互作用」によって実現する。
アソコは、あるいは作者は、「人はあるとき欲情し、あるときはそれをすっかり忘れ、あるときはしっとりした気持ちになり、あるときは気まぐれになる」のだから、と言って今を肯定する。
プロットは時に巧妙かつ大胆だが、語り口が穏やかなので読む者はそれに気づかないかもしれない。それでも我々はこれらの小説を覚えているだろうし、自分が同じような喪失の場に臨んだ時、思い出してここに回復のためのヒントを得るだろう。
川上弘美
●刷新
吉本ばななさんの小説が大好きだ。でも、選考をする時には、「大好き」ということは封印して、「吉本さんの小説だ」ということは、忘れるようつとめた。
冒頭の掌篇「夢の中」の、たこ焼き。短篇「ミトンとふびん」の中にあらわれる「柴崎友香」の与える不可思議で嬉しい衝撃。「カロンテ」に出てくるTシャツに書かれている文字。「情け嶋」の、『奇跡の野草明日葉』という本。どれもさりげない細部なのに、たいへんに惹かれる。公正な判断というものは、ほんとうに難しい。実際のところ、吉本さんの小説に関しては、ただ読みたい、それだけなのだ。彼女の小説のよさは、「いい」としか表現できない。この作家の小説を必要だと思う読者のために書かれているからだ。おそらく「いい」と思わない読者もいるだろう。それはそれで大丈夫、とも、吉本さんの小説は肯定してくれる。生きているということは、そういうことなのだ、ともかく。そんなふうに小説自身が教えてくれる。どの物語もするする読める。そのように書くことがどのくらい大変なことか、小説家ならば、みな知っている。吉本ばななさんの小説は、ほぼすべて読んでいるが、小説における言葉の使いかたを刷新した作家だと、読むたびに思う。受賞が決まってから、吉本さんの小説をまた読み返している。最初の小説から、変わらない。次第に深まっているのに、不変のものがある。同時代に彼女の小説を読むことができて、心から嬉しく思う。
桐野夏生
●幸福な小説
何ということもない話。
大したことは起こらない。
登場人物それぞれにそれなりに傷はある。
しかし彼らはただ人生を眺めているだけ。
本書のあとがきには、こう書いてある。確かに、この短編はどれも、激しいことは決して起こらない。
旅に出て、初めて会う人と話し、ごくたまには愛し合い、珍しい美味しいものを食べ、知らない街を歩く。ただ、それだけである。
しかし、主人公たちは、そんな人生の一場面を「眺めて」はいるものの、心の裡には、大事な人の死という大きな悲しみを抱えている。
その喪失感が、主人公が出会う人や街、そのすべてを優しく受け入れる大きな器となっている。だからこそ、淡々として何も起きないかのように見える。
この作品がすべて光のような明るさを感じさせるのは、「失うものがないということがなぜか安心につながっていた」という述懐にあるのではないだろうか。
「皮肉なことに、母の死によって、夢の中でも逃げられない、ひとりぼっちになる恐怖から私はやっと解放された」という、深い悲しみの中にもある、一種の解放。それは、成熟した大人の幸福な感慨でもある。
筒井康隆
●貴重な情緒性
「ミトンとふびん」は、最初の掌篇「夢の中」という居酒屋の話が、「吉本ばななは腕をあげたなあ」と感心できるほどによく、台北が舞台の「SINSIN AND THE MOUSE」の過剰に情緒的な恋愛、「ミトンとふびん」の妊娠できないヒロインへの他者からの思いがけない好意の持たれ方や、父親への想いなど、さまざまな角度からの心象風景が繊細で平易な文章で書かれていて、なんとなく初期の日本映画のような感覚が好ましい。
特に優秀なのは「カロンテ」で、死んだ友人の真理子の面影を追ってローマにやってきたしじみという名のヒロインが真理子の恋人や友人に次つぎに逢っては思い出を深めてゆく、そして癒されていく過程がみごとに描かれている。
「珊瑚のリング」は母の形見の珊瑚の指輪のことを書いているのだが、祖母や父のことも含めて十二枚という特に難しい枚数の中で掌篇化しているのは大いに評価できる。
「情け嶋」はある女性を中心に、ゲイの男性とそのパートナーの男性という三人の交情を描いている。この作品を含めすべての作品において、「死」という自然現象以外にはほとんど何の事件も起らないままに終始するのだが、歳をとってくると社会的な題材よりもこういう情緒的なものが、どっぷりと文学に身を浸したという感があり、好ましくなってくる。他作品よりも抜きん出ていると思い、この賞に推した。
堀江敏幸
●宇宙を終わらせないための試み
表題作を含む六つの短篇は、舞台がどこであるかにかかわらず、つねに主人公が死との距離感を探るかたちで展開する。亡くなった人のことをどう思いつづけるかというより、自分がこれからどう生きていくのかに気持ちを切り替えるほうに力を注いでいるので、大切な人の死が少しも湿っぽくならない。亡くなった人に対して冷淡なわけではないし、思い出すたびに涙もあふれでるのだが、それをどこか醒めた眼でながめようとしているのだ。
「世界のほうがはるかに大きくて、自分が死ねば自分の宇宙は終わる。そこには何の余地もない」(「カロンテ」)
自分から求めていることと、他者から与えられることが、この作家のなかでは奇跡的に同期する。そんなに好都合な展開があるのか、あまりにできすぎではないかという一抹の不安が、登場人物の言葉と行動の巧みな配分によっていつのまにか溶けてなくなり、不思議な肯定感に充たされる。しかし読後に私たちが手にするのは、ありふれた癒やしや励ましではない。冒頭に収められた一篇のタイトルどおり、「夢の中」で体験したような空白の共生感、もしくは軽微な臨死体験に近いなにかである。
長い経歴で培ってきたすべての要素が力を抜いて並んでいるこの短篇集のなかで、作家は現世という冥界に流れる河の渡し守になった。これはたぶん、自分が死んでも自分の宇宙を終わらせまいとするあさましさから最も遠く離れた、他者への愛の表明だろう。