宮下洋一 書き手の発見のプロセスを一緒にたどってほしい【著者に聞く】
──本書は死刑囚やその家族、被害者遺族にいたるまで、国内外の死刑の当事者を取材した力作です。なぜ死刑というテーマを取材しようと思ったのですか。
これまでも安楽死や生殖医療など、人間の死生観に関わるテーマを取材してきました。死生観は人間にとっての幸福を考えるうえで外せないことだと思うからです。安楽死だけでなく死刑もまた、死が予告されている究極の死で、それに向き合う人たちを取材できる数少ないテーマでした。
海外からは批判されている日本の死刑制度を考えるうえで、まずはそれぞれの国の文化や価値観、あるいは被害者遺族の心情などを丁寧に知る必要があると感じていました。それらを深く掘り下げると白か黒かで割り切れない、グレーな部分がたくさんあるはずで、そこを掬い取りたかったのです。欧米社会で長く暮らし、その負の面も見てきたので、欧米的な価値観とも距離を取って書けると思いました。
──そもそも宮下さんが人間にとっての幸福を考えるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
私がマイノリティとして生きてきたことと関係すると思います。18歳から欧米社会で暮らしてきたので、常にアジア人として、差別とまではいかないまでも、偏見の目で見られてきました。それによる生きづらさを感じる中で、人種によらない、人間としての幸福とは何かを考えるようになったのだと思います。
──取材の過程で揺れる宮下さんの心理が赤裸々に書かれているのが印象的でした。
ノンフィクションは結論ありきの予定調和なものではなく、最初は全く見えない世界を自分で発見していく作業だと思っています。読者にはそうした書き手のプロセスを、一緒にたどってもらいたい。だから、私の心情の動きや現場の風景、人物の描写もできるかぎり入れるようにしています。
これは主観的とも言われるかもしれませんが、さまざまな人の話を聞き、その時に感じ、考えた主観的な部分を積み重ねていくことで、ある種の客観的なものが私の中に宿ると思っています。
──取材の中で特に印象深かった出来事があれば教えてください。
一つは、アメリカのテキサス州で死刑囚ハメルと初めて面会した時のことです。彼は自分の妻と子ども、義父の3人を殺害した罪で死刑判決を受けました。ただ、話をしてみると、映画などを見て想像していた死刑囚のイメージとは違った人間性の持ち主でした。敬虔なクリスチャンということもあってか、犯した罪を後悔して、毎日被害者のために祈りを捧げていました。こんな人間が処刑されていいのかと思ってしまう自分がいました。
もう一つは、加害者に死刑判決が下された大阪府の連続殺人事件の被害者遺族との出会いです。今回のテーマを取材するにあたり、最終的に知りたいと思っていたのが、「死刑は被害者遺族を救うのか」ということでした。これまでメディア取材を受けていなかった方々が口を開いてくれたからこそ、読んですぐに忘れられてしまう本にしてはならないという責任も感じました。
──世界中の関係者を取材するのは、苦労も多いと思います。
私が扱うテーマは、突然取材をキャンセルされることも多いので、大変なのは確かです。そしてそれとは別に、出版不況でメディアからの支援も減り、十分な取材がしづらい状況にもなっています。幸い本書はスローニュースという会社からの支援があって実現しました。駆け出しの頃は、キャリアを積むにつれてできる仕事も増えると思っていたので、少し悔しさも感じます。
──これから取り組みたいテーマは?
最近は臓器移植に興味を持っています。私が拠点にするスペインは29年間にわたって脳死者の臓器提供率が世界1位ですが、何か重大な問題も隠れている気がします。これからも国内外を問わず、死生観に関わるテーマを多角的な視点で取材していきたいです。
(『中央公論』2023年4月号より)
1981年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程中退。都内の中高一貫校で歴史や国際政治学を教える。社会・政治に関する評論を手がけ、『アステイオン』や本誌などに寄稿。共訳書に『キューバ危機』がある。