「部落問題」を描いた3時間半のドキュメンタリー映画が観客15000人を動員した理由

「私のはなし 部落のはなし」の裏ばなし
朝山実(ルポライター)

取材のオファーなし、苦戦が予想されたが...

満若 木下さんにお聞きしたかったのは、『にくのひと』をやめたとき(経緯は本書に詳しく書かれているが、劇場公開直前にある団体から抗議を受けた)に社内の雰囲気はどうだったのですか?

木下 社内が紛糾したりとかいうことはなかったです。私たちの仕事は裏方なので、監督自身がひくと決めたのだから。それにいちばん辛いのは監督だし。残念だけど、しょうがないねということでした。

満若 そのときに部落問題だからというのはありました?

木下 被差別部落のことは当時、私自身認識がそれほどあったわけではないにしても、なかなか描きづらいことだというのは意識していて。最終的にやめるという判断をしたときにもそのあたりのことは満若さんから話を聞いていたので、強行するという判断はなかったですね。

満若 当時と今だと状況も違って、空気としては押し切ろうとするようなものもあったように思うんですね。

木下 配給側として上映をとりやめるということに納得したのは、満若さん自身が凍結したいと言われたからです。もしかして、満若さんが「やります」と言っていたらやっていたかもしれない。実際、満若さんを説得しようとはしていたんですよね。何とかできないだろうかと。ただ、満若さん自身の意思は固かったんですね。

満若(うなずく)

大島 僕も木下さんに聞いていいですか? この映画の公開直前に目標について話をしていたときに、僕が1万5000人と言ったら、木下さんは一瞬「えっ⁉」という顔をされて「まずは1万人を目指しましょう」とおっしゃったんですよね。じつはもう間もなく1万5000人(2022年10月時点)になりそうなんですが。

木下 最初、これはいけるぞと思ったんです。頭の中で数字は膨らんでいたんです。けれども劇場公開までの過程のなかで、みなさん書いてくれないんですよね。メディアの方が、記事を。インタビューの申し込みも、ない。

大島 なるほど。取材のオファーが期待していたほど来なかった、ということですか。

木下 それで、思ったほどには広がらないかもしれない。作品自体には自信があるから広がるはずだとは思いつつ、これは苦戦するかもという時期だったんですね。
あともう一つ、配給会社としては目標値を低く設定しておいたほうがいいんですね。3万人いけますよと言って、いかなかったら責任問題もあります。だからある程度、越えられるハードルにしておこうというのはあるんですよね。

――大島さんがあげられた1万5000人というのはどこから?

大島 以前よりもヒットの数字が上がってきているんですね。以前だと1万人で「おめでとう」だったのが、いまは3万になってきていて。ただ、これは3時間25分の映画なので、ふつうの映画の2本分になる。ということは上映の機会もふつうの映画だと2回かけられるのを1回だけになるだろうというので、3万人の半分を目標にしよう。興行収入的にもそれくらいの数字だったらいいよねと言ったら、木下さんに「えっ⁉」という顔をされたんですね。

木下 そうでしたね。

――東風で1万5000人のハードルを越えているのは、最近だと?

木下 2022年は越えている作品が多いですね。『スープとイデオロギー』『テレビで会えない芸人』は超えています。ただ、まあ、この長尺だと上映に踏み切れない映画館もあるんですよね。2本分の上映機会をとられるわけですから。

――いまドキュメンタリーをかけようという映画館は増えてきているんでしょうか?

大島 これはお世辞ではなくて東風さんの力が大きいと思うんですが、ドキュメンタリーを観ようという観客は増えています。

木下 海外のドキュメンタリーも増えていますね。

 
この対話のあと、満若監督から二人に質問がなされた。「過去に配給・宣伝(監督・製作)に関わった作品の出演者(監督)による性暴力が発覚した際や出演者から訴訟が起こされた際に、それぞれどのように対応してきたのか」。あえての質問に監督の視点が浮き立つところである。
なお、この本の編集にたずさわった者としてヒトコト。原一男監督の実践的講義体験や、恩師となる辻智彦カメラマンから仕事を習うガムシャラなはなしは「就職しないで生きる」と考える若者のバイブルになるだろう。

「私のはなし 部落のはなし」の話

満若勇咲

日本にいまだ残る「部落差別」を丸ごと見つめ、かつてないドキュメンタリー映画として多くの観客を集めた『私のはなし 部落のはなし』監督による初エッセイ。大阪芸術大学での原一男監督の講義から学んだこと、若松孝二監督の撮影現場での体験、屠場(とじょう)とそこで働く人々を写した『にくのひと』(2007年)が各地で上映され好評を博すも、劇場公開を断念せざるをえなかった経験、そこから十数年を経て、今作公開に至るまでの歩みを綴る。
プロデューサーの大島新氏、配給会社「東風」の木下繁貴氏との鼎談、角岡伸彦氏の解説を付す。

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朝山実(ルポライター)
【鼎談者プロフィール】
●満若勇咲(みつわか・ゆうさく)
1986年京都府出身。大阪芸術大学で原一男が指導する授業でドキュメンタリー制作を学ぶ。在学中に食肉センターで働く人たちを取材した『にくのひと』を監督制作。卒業後、ドキュメンタリーカメラマンとして活動。ドキュメンタリー批評誌『f/22』編集長。

●大島新(おおしま・あらた)
1969年神奈川県生まれ。ドキュメンタリー監督、プロデューサー。監督作品に『なぜ君は総理大臣になれないのか』『香川1区』。プロデュース作品に『劇場版センキョナンデス』『ほけますから、よろしくお願いします』など。

●木下繁貴(きのした・しげき)
1975年長崎県生まれ。映画配給宣伝会社・合同会社東風代表。配給作品に『人生フルーツ』『主戦場』『Peace』『スープとイデオロギー』など。

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●朝山実(あさやま・じつ)
すみっこ、脇道、路上、後日談に興味がわきます。 著書に『お弔いの現場人』『父の戒名をつけてみました』(中央公論新社)など。「ウラカタ伝」http://waniwanio.hatenadiary.com/
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