四方田犬彦 いまなぜ「日本のゴーゴリ」大泉黒石なのか【著者に聞く】

四方田犬彦
大泉黒石ーーわが故郷は世界文学/岩波書店

──ロシア人の父を持ち、長崎で生まれ、中国、ロシア、フランスで過ごしたのち、作家として活躍した大泉黒石(こくせき)(1893~1957)。四方田さんが黒石を知ったきっかけは何でしたか。


 大学生の時、東京大学教養学部の由良君美(きみよし)先生のゼミでこのコスモポリタンな作家の存在を教えていただきました。日本には早く生まれすぎた人だという説明付きで。


──黒石を「日本の〇〇」と評するとしたら誰が適当でしょうか。


 怪異幻想という点では「日本のゴーゴリ」でしょう。本人はレールモントフのつもりでしたが。グロテスクなリアリズムはゾラに、絶望の吐露ではセリーヌに似ているかもしれません。

 あらゆる優れた文学は外国語で書かれているとプルーストは語っています。黒石は日本語の内側で書いていましたが、実は外国語で書いていたのです。彼の文体の本質は多声性(ポリフォニー)です。


──代表作『俺の自叙伝』はもともと『中央公論』の連載で、当時編集長だった滝田樗陰(ちょいん)が抜擢したのですね。


 滝田樗陰は天才的炯眼(けいがん)をもつ編集者でしたが、まずその前に大正時代の『中央公論』の、雑誌としての位置の重要性を検証しておく必要があると考えます。この雑誌は単に影響力をもつ言論の場であっただけではなく、若き文学志望者にとって登竜門ともいうべき場所でした。文芸雑誌として『中央公論』がはたした役割については、キチンと日本文学史のなかで評価検討すべきでしょう。


──なぜこれまで黒石は忘れ去られていたのでしょうか。


 私小説を文学の規範とした大正時代の狭小な文学観を信奉する作家たちが、突然出現したこの「国際的浮浪者」の書くものに脅威を感じ、自分たちの文壇での既得権を守るために団結して黒石下ろしを行い、文壇から追放したからです。


──息子の大泉滉(あきら)さんは俳優として映画やテレビで活躍されました。


 わたしの著書『月島物語』をもとにNHKで番組が作られた時に、大泉滉氏に黒石の月島時代の回想の部分を朗読していただきました。みごとに格調と威厳のある語りでした。お礼を申し上げる前に亡くなられたのが残念です。


──四女の淵(えん)さんにはお目にかかってお話を聞いたそうですね。


 お会いした時、すでに淵さんは90歳ほどのご高齢でしたが、気品のある美しい方でした。林芙美子と川端康成の両方から養女にしたいという申し出があったくらいです。自分の父御は物静かな人で、背が高く、子供たちにも敬語を使うような人でしたと語っていらしたのが印象的です。


――昨年、全ロシア・日本歴史文化学会で黒石について発表したそうですが、その時の反響は?


 ロシアの日本研究者は驚いていました。こんな偉い人を、どうして自分たちは今まで知らなかったのかと逆にわたしが質問されました。日本のロシア文学研究者は、これまで黒石にまったく無関心でした。おそらく存在も知らなかったのではないでしょうか。


──いま黒石の評伝を世に出す意義、そして、いま黒石を読む意義はどこにあると思われますか。


 ロシアは現在、政治的、軍事的に混乱していますが、日本人はつねにロシア文化を愛し、親しみを感じてきました。戦後日本の国民的作家・芸術家を、ジャンルを超えて3人挙げてみましょう。黒澤明、手塚治虫、五木寛之。いずれも偉大なるロシア・ラバーです。

 黒石の文学は日本人がロシアに感じる、無性の懐かしさの根源にあります。と同時に、彼はドイツ表現派にも、南宋の詩画にも、ロシアの口承文学にも造詣の深い文化的コスモポリタンでした。10歳の時分に最晩年のトルストイの謦咳(けいがい)に接したことは、彼を無政府主義と非暴力へと向かわせました。彼は生涯の最後まで老子とトルストイを信奉していました。怨恨なるものとは無縁だったのです。世界中が憎悪の応酬で成り立っている現在、こうした思想はとても重要ではないでしょうか。


(『中央公論』2023年6月号より)

中央公論 2023年6月号
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四方田犬彦
〔よもたいぬひこ〕
1953年大阪府生まれ。映画誌・比較文学研究家。東京大学大学院博士課程中退。明治学院大学教授などを歴任。『映画史への招待』(サントリー学芸賞)、『ルイス・ブニュエル』(芸術選奨文部科学大臣賞)など著書多数。
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