ドキュメンタリー映画の撮影現場で、監督がカメラマンに指示をほぼ出さない理由とは?師弟関係の2人が語り合う撮影のポイント

満若勇咲監督×辻智彦カメラマン 『「私のはなし 部落のはなし」の話』刊行記念トークセッション
構成=朝山実

カメラマンも映画の「対話」の中の一人である

満若 いまの話はすこし観念的な心構えの話なので、もうすこし具体的にお聞きしたいです。

 ああ、そうかそうか(笑)。かみ砕いていうと、いまはカメラが日常的になってきていて。人が撮るのではない、監視カメラのようなものも出てきていますが、ドキュメンタリーのカメラは人が撮るもの。カメラマン自身の眼差しで撮るというのが大事なところです。さらに具体的に説明すると、撮っている人と撮られている人との距離。たとえばカメラを向けながら、一歩前に出るのか、一歩下がるのか。そういう被写体との距離間が映像表現に直結している。相手との距離を計りながら撮るのが、ドキュメンタリーのカメラマンの技術にもなっています。近づきすぎれば、相手に意識されてしまう。しかし、あえてカメラを意識させるという狙いであれぱ、それが正しくなる。そういう細かいステップをとりながら撮っていきます。で、どうでしょう?

満若 ありがとうございます。そういった意味で、この映画は「対話」を撮ると決めた段階で、辻さんのカメラ一台で撮ると決めました。先ほども言ったように、辻さんというカメラマンもまたこの映画の「対話」の中の一人であるという狙いがありました。それで、現場における監督とカメラマンの関係性についていうと、現場でぼくが辻さんに「これを撮って」と言う、オペレーター的なやりとりはしていません。

 そうでした。満若監督に限らずドキュメンタリーの場合、監督が「こう撮って」といった細かい指示はしないものなんですね。というのもカメラマンの身体性が大事なポイントであるので。

カメラマンの気持ち、感情が表現に直結するジャンルなので、主体的に動かないとカメラの眼差しがあやふやになってしまう。カメラマンが、これはどういうことだろうと思えば、ぐっと近寄る。カメラを主体的に操作するというのがドキュメンタリーでは大事なポイントになっていくんですね。

もちろん監督のテーマから離れてしまってはいけないし、監督が何を狙っているのかをカメラマンは把握していないといけない。監督が考えるテーマを自分の中でどう内面化し、相手と向き合っていくのがポイントになっていきます。

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