『戦争とデータ―死者はいかに数値となったか』五十嵐元道著 評者:神里達博【新刊この一冊】

五十嵐元道/評者:神里達博(千葉大学大学院教授)
戦争とデータ―死者はいかに数値となったか/中公選書

評者:神里達博(千葉大学大学院教授)

 2023年夏、ロシアによるウクライナ侵攻は依然として終わりが見えない。8月18日付の『ニューヨークタイムズ』は米国当局者の話として、ロシア軍とウクライナ軍の死傷者が、あわせて50万人に迫っており、死者はロシア軍が最大で12万人、ウクライナ軍はおよそ7万人と推計される、と報じた。

 私たちはこれまで繰り返し、メディアに流される戦地の悲惨な映像に衝撃を受けてきた。同時に、そこに示される犠牲者数の値から、その戦争の「本当の」深刻さを推測する、そのような心理的な習慣も形作られているのではないか。

 だが同じ戦争でも、情報ソースによって犠牲者の数が大きく異なるのは、決して珍しいことではない。そのため、それらの数字の信頼性をめぐって、しばしば関係者間で非難の応酬が繰り返されてきた。犠牲者の数は、それ自体、政治的に重大な存在なのだ。

 それでは、これらの数字は一体、どのようにして明らかにされてきたのだろうか。本書は、犠牲者数を中心に、戦争に関するデータが、いかなるプロセスで生成されてきたのかを、徹底的に掘り下げていくものである。

 著者はまず、分析の枠組みとして、現実を認識する際の二つの「フィルター」の存在を措定する。一つ目は、何を戦争のデータとして取り上げるのかを方向づける、「国際規範」である。たとえば、戦争の犠牲者を測る際に、「兵士」ではなく「文民」に注目するのはなぜなのだろうか。その取捨選択には歴史的に形作られてきた国際社会の規範が作用している、と著者は説く。

 そしてもう一つ提示されるフィルターは、「科学的過程」である。戦争という異常な状態において得られたデータは一般に、重層的な不確実性を伴う。そこからいかにして科学的に信頼性の高い数字を導き出すのだろうか。

 本書は、ベトナム戦争、グアテマラ内戦、旧ユーゴスラビア紛争などにおける調査の過程を丹念に追いかけることで、戦争被害の客観的な実態を明らかにするための国際的な専門家の連携、「人道ネットワーク」の形成プロセスを描き出している。その際に、データも社会の影響などを受けつつ「構成されるもの」として捉えられてはいるが、「客観的事実など存在しない」というような極端な態度は、そこにない。むしろ、真実に近づくことの困難さを覚悟した上で、できる限り肉薄しようとする人々の熱意が、行間から伝わってくるのだ。

 これらの分析において、著者が参照したのは科学技術社会論(STS)の分析視角であるという。この分野は、科学や技術と社会の界面に生じる諸問題を対象とする学際的領域である。

 STS研究ではこれまで、科学や技術が、社会や政治、文化などからどのような影響を「受けているか」に関心を向けることが多かった。だが今後は、双方向的な、さまざまな「相互作用」にも注目すべきだと思う。その意味で、この著者のスタンスは新しい時代の風を感じさせるものだ。欲を言えば、STSの成果をもう少し積極的に活用した分析を読んでみたいとも感じるが、それは若い著者の今後の仕事に期待すべきだろう。

 学術的な新規性と現代的なアクチュアリティを両立させつつ、専門外の読者にも読みやすい、注目の一冊である。


(『中央公論』2023年10月号より)

中央公論 2023年10月号
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五十嵐元道/評者:神里達博(千葉大学大学院教授)
【著者】
◆五十嵐元道〔いがらしもとみち〕
関西大学教授。1984年北海道生まれ。英サセックス大学国際関係学部博士課程修了(D.Phil.)。専門は国際関係論、国際関係史。著書に『支配する人道主義』がある。


【評者】
◆神里達博〔かみさとたつひろ〕
1967年生まれ。東京大学工学部卒業、同大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は科学史、科学技術社会論。著書に『食品リスク』『文明探偵の冒険』など。
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