寺尾紗穂 ほんの数十年前のことも私たちはよく知らない【著者に聞く】

寺尾紗穂
日本人が移民だったころ/河出書房新社

──『南洋と私』『あのころのパラオをさがして』と南洋移民の聞き書きをなさってきた寺尾さんが、今作のタイトルを『日本人が移民だったころ』にしたのはなぜですか。


 名古屋入管でのウィシュマさん死亡事件、入管法改正など、国内で移民・難民の問題がクローズアップされてきています。それと同時に、移民や難民への目に余る言説も増えてきました。移民・難民に反感を持つ人たちに、日本人も1980年代まで南米に移民に渡っていたことを知っている人がどれくらいいるのだろうか、と思います。

 そういう私自身、戦前の国策としての海外移民については知っていても、戦後移民のことは長らく知りませんでした。戦前の日本人移民は、アメリカでもブラジルでも排斥運動を受けて受難の時代を過ごしています。彼らは国策で移住を推奨されていましたが、現地でも反日的な眼差しはありましたし、アメリカとの戦争が始まれば、排除されて苦境に立たされました。戦後移民もまた、国が旗を振って送り出していました。全国の自治体に南米各国への移民募集のパンフレットが置かれていた。そういう歴史をまずは多くの人と共有したいと思いました。


──パラオから引き揚げ、戦後パラグアイに再移民した方たちのバイタリティが印象的でした。


 戦前の日本には、「狭い日本にゃ住み飽いた」(「馬賊の唄」)というフレーズに象徴されるように、海外雄飛の夢がありました。そういう気分の延長が戦後もあったのかもしれないですし、終戦を経てあちこちから大量の人が引き揚げ、貧しさの中にあって、人口の増えた日本を捨てて広い新天地でという気分も確かにあったのかなと思います。この本で触れた、元パラオ移民で1960年前後に宮城からパラグアイに渡っている人たちの日本での生活は厳しいもので、白米など毎日ほんの少ししか食べられなかったと知りました。地方には、「1960年代は高度経済成長期」という画一的なイメージでは捉えきれない、もう一つの戦後が影のようにあったのだと気づかされます。

 もう少し豊かな、安心できる暮らしへの憧憬、これが彼らの海を渡るバイタリティであり、移民という現象の根幹にあるものなのだろうと思います。今の日本でも、若い人たちは、次第に海外に目を向けざるをえなくなっています。その方が確実に稼げると知られてきたからです。少し前までは、「なんでも便利な日本が一番」と海外に行かない若者が多いと言われていましたから、いい変化ではないかと思います。見方を変えると、そういう長く内向きな時代の結果が、今の日本の停滞とも言えると思いますね。


──この本をどんな方に読んでほしいと思いますか。


 ほんの数十年前のことも私たちはよく知らないのだと思いますし、すぐ隣にいる人のことも見ようとしなければわからないままです。インターネットで簡単にまとめられた歴史や事象は表面的で浅いものが多く、知ったつもりにはなれても、どこか単純でずれています。ものごとをより知的に捉えていくために、これからは当事者の言葉に触れることが大事になっていくと思います。それは、断定やわかりやすさとは対極にあるものです。個人的でこまごまとした語り。でもその細部に大切なものが隠されています。この本は、親族に海外へ移民した人がいる方はもちろん、現在の移民・難民問題に関心のある方にも読んでもらいたいです。


──寺尾さんは音楽活動もなさっていますが、執筆活動との関係は?


 ライブ以外は音楽に割く時間はあまりなく、文章を書いている時間、本を読んでいる時間が長いです。地方の芸術祭などに呼んでいただき、そこで歌や土地の歴史をリサーチして滞在記を書いたり、古謡をアレンジして音楽としてアウトプットしたりすることが増えています。何かを感じ取って、それが能動的な形で文章に、受動的な形で音楽になる、ときにはその両方が生まれる。そういうスタイルが自分には合っているのだと思います。


(『中央公論』2023年10月号より)

中央公論 2023年10月号
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寺尾紗穂
〔てらおさほ〕
1981年東京都生まれ。音楽家、文筆家。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。2007年にアルバム『御身』でメジャーデビュー。音楽活動の傍ら、ノンフィクションやエッセイを執筆。著書に『原発労働者』『南洋と私』『あのころのパラオをさがして』『彗星の孤独』など。アルバム近作に『余白のメロディ』。
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