角川歴彦 「追悼 月の人──森村誠一」

角川歴彦
2020年11月、「森村誠一展」が行われた角川武蔵野ミュージアム本棚劇場にて。写真左から森村さん、角川氏、森村夫人。(写真提供:永井草二)
『人間の証明』『野性の証明』などのベストセラー小説の著者で、2021年には自身のうつ経験を綴った『老いる意味』を著した作家の森村誠一さんが7月24日に亡くなった。生前親交の深かった角川歴彦氏の追悼インタビュー。
(『中央公論』2023年10月号より抜粋)

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森村誠一〔もりむらせいいち〕
1933年埼玉県生まれ。69年『高層の死角』で江戸川乱歩賞、73年『腐蝕の構造』で日本推理作家協会賞を受賞。『人間の証明』『野性の証明』『悪魔の飽食』などのベストセラーを含め、推理小説、時代小説、ノンフィクションなどを執筆、幅広く活躍した。7月24日肺炎のため死去。享年90。

眠っているような穏やかなお顔

 森村さんの訃報を知ったのは、7月24日の午前中だった。私は保釈中の身なので、自分のスマホを使ってはいけない。それで、妻のスマホに担当編集者が電話をかけてきてくれたのだ。体調を崩しておられると聞いていたので「やはり」という気持ちの一方で、驚きもあった。「もう逝かれたのか」という。その相半ばする感情が湧いてきたのである。知らせてくれた編集者と一緒に、すぐに弔問に伺った。

 東京都町田市のご自宅は急な坂の途中にある。車を降りて坂を上ると、奥様が玄関で出迎えてくださったのだが少しやつれていた。

 案内されて対面した森村さんのお顔は非常に穏やかだった。眠っているかのようで、語りかけたら答えてくれそうであった。また、なすべきことはすべてやりきったという思いも垣間見えた。こういう顔は、家族がほっとするな......。そう思ったとき想起したのが父・源義のことだった。父もやはり穏やかな死に顔だったのだ。父が亡くなるひと月ほど前に詠んだ俳句が思い浮かんだ。


月の人のひとりとならむ車椅子


 これは父が癌で入院していた東京女子医科大学病院の、おそらく病室から見える名月を見て詠んだ句で、自分も間もなく「月の人のひとり」になる、つまり死を覚悟していたのだろう。作家の井上靖先生が父が亡くなる前日にお見舞いに来られた際、この句に触れて「源義さんの傑作だ」と言ってくださった。

 そんな思い出を辿りながら、森村さんも「月の人のひとり」になられたのだという感慨を深くした。


──8月のある日、角川歴彦氏は、待ち合わせ場所のホテルに一人、マスク姿で現れた。

 角川氏は、KADOKAWA会長時代に、東京オリンピック・パラリンピックをめぐる汚職事件に関わったとして、昨年9月に東京地検特捜部に逮捕、のちに起訴され、7ヵ月間の勾留をへて今年4月27日に保釈された。逮捕前70キロあった体重は勾留中に54キロまで落ち、それがかえって持病の改善に役立ったという。

 インタビューでは、時折ユーモアを交えながら、森村さんとの思い出を語ってくれた。

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