角川歴彦 「追悼 月の人──森村誠一」

角川歴彦

全国縦断サイン会の思い出

 森村さんとの仕事で、記憶に深く刻まれているのは、小説『人間の証明』のセールスプロモーションのことである。この作品は1977年に映画化され、モチーフとなる〈母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?〉という西條八十(やそ)の詩の一節を使ったCMを流すなど、公開前から大々的な宣伝を行い話題になった。

 当時、私は角川書店の販売責任者を務めていた。そして、原作者である森村さんの全国縦断サイン会を企画し、映画公開直前の9月下旬から2週間、北海道から九州まで、全国10都市15書店を回ったのだ。

 会社の浮沈をかけるような挑戦だったので、営業の面々も大成功させようと気合いが入っており、店頭では、普段しない呼び込みもスピーカーを使ってやっていた。「〝あの森村先生〟のサイン会ですよ」。〝CMで流れている映画『人間の証明』の原作者の〟という意味なのだが、本人としてはちょっと恥ずかしかったのだろう。「すみません、歴彦さん、〝あの森村先生〟の〝あの〟っていうのだけはやめてください」と言われたことをよく覚えている。

 長野市の平安堂という書店で行ったサイン会のときはハラハラさせられた。森村さんはサービス精神旺盛で、時間ギリギリまでサインをされていた。これでは間に合わない、と私は先に長野駅で切符を買い、森村さんの到着を待ったが、一向に来ない。発車ベルが鳴り始め、私はとっさに列車とプラットホームにそれぞれ片足を置いて、ドアが閉まらないように踏ん張った。強引だけど、その列車に乗り遅れると次のサイン会に間に合わない。そうしたら、事情を察して駅員さんが少しだけ発車を遅らせてくれたのである。

 なぜあれだけみんなが一体になって大規模なサイン会をすることができたのか......。今思うと、試写を観た映画評論家が散々な批評をしたことへの反発もあったのではないか。いい作品なのに、と悔しかったのだ。それがバネになった。蓋を開けてみれば大ヒットで、当時あれほど人口に膾炙した作品はなかったのではないだろうか。

 それ以降、森村さんは『野性の証明』『悪魔の飽食』といったベストセラーを数多く発表し、まさに日本を代表する流行作家となった。


(中略)

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