『歴史としての二十世紀』高坂正堯著 評者:君塚直隆【新刊この一冊】
評者:君塚直隆(関東学院大学教授)
本書は、20世紀を代表する国際政治学者である高坂正堯が1990年におこなった6回の講演をまとめた珠玉の作品となっている。
1990年といえば、前年にベルリンの壁が崩壊し、東西のドイツが統一を果たした年である。さらにこの翌年にはソヴィエト連邦(ソ連)が崩壊し、まさに歴史の転換期にあたっていた。
評者は19世紀のイギリス外交史を主に研究しているが、本書はそのような評者が最も知りたい20世紀の中心的な主題である「戦争」「アメリカ」「ソ連(共産主義)」「大衆政治」等の問題に正面から斬り込んでいる。
しかも、もともと一般向けの講演をまとめていることとも関係しているが、他の数々の名著と同様に、国際政治を専門に学んだことのない読者にとってもわかりやすい語り口でこれらの重厚な問題を解説してくれている。
本書の冒頭は、20世紀のその後の運命を決定づけた第1次世界大戦から始まる。高坂によれば、この世界大戦は兵器の技術が進歩したことで強大な軍事力を手に入れた軍人たちの自信過剰と、平和な時代が続いて平凡な人間ばかりになってしまった政治家の責任放棄によって生じた悲劇であった。
また、元来は個人主義と孤立主義の気風の強かったアメリカが1929年の株価大暴落に端を発する世界恐慌にもがき苦しみ、続く第2次世界大戦を経て、戦後には莫大な経済協力費を捻出して日本や西欧を救うに至ったとも論じている。こんにちのような世界の問題に深く関わるアメリカの姿は、意外にも古くからの伝統的なものではなかったのである。
一方のソ連で確立された共産主義は、スターリンの時代(1930年代)に大粛清がおこなわれたが、処刑された人々の多くが(たとえ濡れ衣で逮捕されたとしても)自身の行為を悔い改めながら死んでいったという特異な様子もいきいきと描写されている。
高坂の言う、民主主義はくだらない目論見とくだらない動機から案外いいことが起こったが、「共産主義は素晴らしい理論と素晴らしい動機から恐ろしい社会を生み出し」たという結論は実に鋭い指摘である。
また、1990年の時点ですでに、高坂は国際社会における日本の今後の行く末についても論じてくれている。「気が小さくて良心的なのがこの国民の性格」であり、「ずば抜けて偉い人はいませんが、自分の小さな仕事の領分できちんと責任を果たす」のが、日本人の美点であるとする。
「世界の国のみんなと等しく仲良く付き合いましょうなんて、冗談じゃありません。そんな気味悪い、薄気味悪いことはできません」と、現在、地球規模での友好(経済協力)を掲げている某国のゆくえを予見するような部分は、高坂らしくて実に小気味よい。
「人間が知り得る歴史的教訓は意外に限られていると感じます」との謙虚な表現も見られるが、高坂自身が幼少期から体験してきたさまざまなエピソードも交えて語られる本書にはいくつもの金言がちりばめられている。
なお、本書の詳細なエッセンスとともに、他の数々の名著のなかで高坂が描き続けてきた「政治と歴史の物語」については、細谷雄一が巧みに著している「解題」がよき道案内役となってくれよう。
(『中央公論』2024年1月号より)
◆高坂正堯〔こうさかまさたか〕
国際政治学者。1934年京都府生まれ。京都大学教授。96年5月逝去。
著書に『海洋国家日本の構想』『国際政治』『古典外交の成熟と崩壊』(吉野作造賞)など。
【評者】
◆君塚直隆〔きみづかなおたか〕
1967年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。博士(史学)。専門は近現代イギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。著書に『物語イギリスの歴史』『エリザベス女王』など。