山本冴里 英語だけではもったいない【著者に聞く】

山本冴里〔やまもとさえり〕
世界中で言葉のかけらを――日本語教師の旅と記憶/筑摩選書

――この本には、山本さんがフランスや日本で日本語を教えている間の体験、考えたことなどが綴られていますが、「ちょっと、すもいてきます」(タバコを吸ってきます)などの、生徒さんによるユニークな表現が印象的です。


 日本語教師として出会った魅力的な表現は大事にしたいと思っています。もちろん、一般的な言い方も教えますが、あまり「ダメ!」と決めつけずに、「どんどん使って」と言うことも。実際、私の日本語は彼らの影響を受けていると思います。「すもいてきます」なんて、もし自分がタバコを吸うなら使っているはず。(笑)

 これはフランスの日本語教室に限っての話ですが、「頑張って」という日本語がフランス語の命令形のように聞こえるので、一緒に頑張ろうと言うときには、フランス語式に活用して、「頑張っとん」になる。「あしたは試験だから頑張っとん」(笑)。フランスの日本語学習者の間ではよく使われています。人間って、クリエイティブだなって。そういう創造性を、教師がつぶしてはいけないと思うのです。


――現在は、留学生向けの日本語の授業のほかに、日本人の学生向けの授業も持っていらっしゃいます。第二章の副題が、「『ぜんぶ英語でいいじゃない』への長い反論」となっていますが。


 これは、私が「英語以外の言語をもっと学ぶべき」と言ったときにある先生に言われた言葉で、それに反論できるものを、と思ったこともこの本を書いた動機です。

 私が所属している学科の学部生は、基本的に全員海外に留学するのですが、そのうち8割が非英語圏です。でも、英語圏に行けなかったから意味がないなどと考えないでほしい。最初からあきらめてスマホの翻訳アプリに頼るのではなく、周りを観察して言葉を使ってみれば、通じる瞬間はかならずあるということを、この本では私の経験を通して書きました。

 第四章の副題は、「言葉が通じない場所への旅」。エストニア語のわからない私が、エストニアの首都タリンで、身振り手振り、片言で、おばあさんたちからお風呂の入り方を教えてもらった話などが入っています。

 英語が敵だと言うつもりはありません。英語も大事ですけれども、「ぜんぶ英語でいいじゃない」というのはすごく貧しい。学生たちには五感の限りを尽くし、取れる情報を全部取って、出せるものを全部出して、現地の人と実感のこもったコミュニケーションをしてほしいと思っています。


――それがこの本にも度々出てくる、複言語主義ですね。


 複言語主義には二つの側面があります。一つが、能力としての複言語主義。一人の人のなかで複数の言語の能力がアンバランスでも、育てていけるということ。もう一つが、価値としての複言語主義で、自分のなかにも他人のなかにも多様な言語があると肯定的に捉えることです。例えば、日本の中学校にタイから来ている子がいたとして、その子が持っているタイ語の言語文化知識は、その教室にいるほかの生徒にとってもすごく豊かな言語文化知識になりうるのです。


――どんな方に手に取ってもらいたいですか。


 広く、日本語教育の分野以外の方にも届くように、と思って書きましたが、「英語だけでいい」と考えている方にはぜひ読んでもらいたいです。


――これからはどんなことを?


 日本は、対外的には英語のみ、国内的には日本語のみという「二重の単一言語主義」が強烈な国家ですが、それをほぐしたい。日本のなかにも、アイヌ語や八重山の言葉など、たくさんの言語があります。次に出す本では、実際に、言語の多様性を示したい。例えば、八重山の言葉を話す方にもインタビューするので、もしかしたら、八重山の言葉と標準日本語を混ぜたような表現が生まれてくるかもしれない。そうやって複数言語が混じり合い、音をイメージしながら読むだけで、くらくら酔っ払っちゃうような本になると思います。

(『中央公論』2024年2月号より)

中央公論 2024年2月号
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山本冴里〔やまもとさえり〕
1979年千葉県生まれ。山口大学国際総合科学部准教授。早稲田大学大学院日本語教育研究科博士課程修了。博士(日本語教育学)。専門は日本語教育、複言語教育。主な著書に『戦後の国家と日本語教育』、編著に『複数の言語で生きて死ぬ』など。
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