藤谷千明×西村紗知「推しと批評の距離をめぐって」
応援の変化、責任の意識
藤谷 「推し」という言葉は80年代から使われていたそうで、それがモーニング娘。ブームとインターネットの発展によりアイドルオタクの間に浸透し、2010年代のAKB48ブームでお茶の間レベルにまで広まっていった。「推し」が男性オタク主体のアイドルブームから出てきた言葉だったのに対し、現在ブームとしてメディアで紹介される「推し活」は主に女性が中心となっています。この変化がどこで起こったのか、わかりやすい契機には心当たりがないものの、ただ、「活」の一文字が重要だったのかもしれない、「◯◯活動」になったことで消費行動として市民権を得ていったのではないかと考えています。
西村 『推し問答!』には、「推し活」という言葉が成立するよりも前からファン活動をしていた方の証言があるので、この言葉が成立する前にどんな出来事があったかを知ることができます。それがとても良いなと思いました。
たとえば「エビちゃん(蛯原友里(えびはらゆり))」という固有名詞が出てきますね。彼女は「モテ」を意識したいわゆる赤文字系(女性ファッション誌の一ジャンル及びそこで取り上げられるファッションの通称。蛯原が専属モデルを務めた『CanCam』に代表され、2000年代半ばに流行)の中心的な存在で、熱狂的な女性ファンが当時いたと思います。でも、じゃあそのファンたちが「モテ」をガツガツ狙う人だったかと言うと、あながちそうとも言い切れないのではないか。雑誌側があのアイコンに込めた意図とファンの欲望は、ぴったりとは一致していなかったのではないかと。
他方、今の推し活はファンが〝公式〟(アニメ・漫画などの制作サイドやアイドルのプロデュースチームなど、推される対象を生み出す側を指す。後述の「運営」も同義)の顔色をうかがう精神性が強い気がします。今とは違って公式とファンの関係がまだグダッとしていた頃のことを、この本を読んで思い出せたように思います。
藤谷 推し活という言葉が市民権を獲得する以前は、ファンと推し及び運営・公式の意思の一致はそこまで重要視されていなかったように記憶しています。それがいつの間にか「公式の言うことは絶対」じゃないですが、推しや運営サイドの事情を汲んだ応援の仕方がベターであるという姿勢がファンの間に定着した感がある。西村さんが『女は見えない』で論じた、買手と売手の関係が曖昧になった状態ですよね。推すことがまるで労働のようになってしまっているというか。
西村 今どきの消費者は買手と売手のどちらもやらないといけない、というようなことを書きました。旧ジャニーズのファンの方は自分が誰を応援しているかを示すときに「◯◯担当」と名乗りますが、昔、それを知ったときに衝撃を受けました。「担当」って責任主体ですからね。「単に享受するだけでなく、この人に対して私は責任を持つ」ということでしょう。今の推し活において、こうした態度は程度の差こそあれ、ほとんど常識になっているのではないでしょうか。
昨年の「NHK紅白歌合戦」で元キャンディーズの伊藤蘭が歌い、往年の親衛隊が集っていましたけど、あの頃は「◯◯命」という言い方があったと聞きます。「命」だとアイドルに全身全霊で身を捧げている感じがありますが、「担当」にはむしろ、アイドルを支える以上にコントロールしたいという欲望すら、個人的には感じられます。
藤谷 どちらも応援する本人の一存で取り去ってしまえるものではあるんですけどね。他方で、推しと責任の観点で言うと、最近のファンダムに関する議論では「加担」という言葉が目につきます。旧ジャニーズ事務所や宝塚歌劇団のハラスメント報道に関して、「抗議の声を上げないのは加担ではないか」「自分たちが批判してこなかったことは間接的な加担だったのではないか」といった議論が起きていました。推し活以外の場面でも、消費行動=責任が伴う行為であるという認識を持つ人が増えているように感じています。
西村 「我々消費者の動き方如何(いかん)で、あなた方を担ぎ上げることもキャンセルすることもできるのだ」というわけですね。「加担したかもしれない」といった反省も、コントロールしたい欲望の変種でしかないと思います。実際の効力を検討するよりも前に、自分たちの自意識に回収されがちなのであれば。
藤谷 実際に責任がとれるのかどうかは別の話ですが、責任意識が肥大している気はします。でも結局のところ、趣味であり遊びでしかないんですよ。ちょっと自己責任論的かもしれませんが、だからこそ私自身は「遊びに命を懸けて何が悪い」と思う。逆に、それが義務のようになったら嫌だな、と。ある種の無償労働的な行為が当たり前になって「推し活には責任が伴う」とされるような今の空気は、一人のオタクとしては違和感があります。
西村 それはそうですよね。ただの消費者に過ぎない自分でいることが一番難しい。