鉄道会社退職後の挑戦 独立書店から届ける本と旅の愉しみ

小柳 淳(「街々書林」店主)
東京・吉祥寺の「街々書林」
(『中央公論』2025年11月号より抜粋)
目次
  1. 店のテーマは「旅先への興味と敬意」
  2. 香港に魅せられた会社員時代

店のテーマは「旅先への興味と敬意」

――東京・吉祥寺の中道通り。雑貨店や洋服店、カフェ・レストランなどが並ぶ通りを、駅から10分ほど歩いていったところに、「街々(まちまち)書林」はある。旅をテーマにした独立書店だ。

 いらっしゃいませ。まずは簡単に、店の中をご紹介しましょうか。

 入って右側の書棚は、ヨーロッパ、アジアなど、おおむねエリア別に本を陳列しています。ところどころ、「山」「境界」などのテーマの棚や、「食べ物」のコーナーも。食べ物といっても、いわゆるグルメ本よりは、地誌や民俗学寄りの本を並べています。そして左側は、雑誌と、旅のエッセイや私の好きな香港のコーナー。奥には雑貨。雑貨も旅に関するものを置いていて、例えば、衣類を入れるポーチや、絵はがき、メモ帳、4色ボールペン。店のさらに奥にはギャラリースペースがあって、写真展や作品展などを開催しています。

B.jpg「旅」から派生し、「境界」をテーマにした棚も

 旅の本といっても、ガイド本は多くありません。ガイド本を揃えようとするとスペースをとってしまうんです。当初はまったく置いていなかったのですが、ご要望の声をいただいたのと、私も「あえて置かない」というほどの決意でもなかったので、今は数を絞りつつ並べています。

 これは店のテーマでもあるのですが、「旅先への興味と敬意」を、大事にしたいと思っています。せっかく旅に出るのなら、「どこに行って何を食べて」だけでなく、その土地の歴史や文化について知っておいたほうが、楽しみも深みも増すと思うんですよね。

C.jpg旗のある壁面は、店主が好きな「香港」のコーナー

 これは私の経験で、台湾の東海岸を旅行したとき、中国語の挨拶を覚えていって、現地の人に話しかけてみたんです。しかしまったく通じない。後でわかったことですが、その辺りは台湾の先住民の、中国語を母語としない人が多く住んでいるエリアでした。「台湾イコール中国語」で押し通すのは、失礼なことだったかもしれません。日本にいると「一国家一民族一言語」と思い込みがちですが、そのむしろ特殊な考え方を世界に拡張するのは、いかがなものかと。「旅の恥はかき捨て」という時代でもありませんし、相手方への敬意がないと、嫌なツーリストになってしまいますよね。

 店をオープンしたのは、2023年の6月です。この辺りは、個性的な個人店が多く、少し落ち着いた雰囲気で気に入っています。ここより駅に近いと賃料が高く、チェーン店が多くなってしまう。反対に、この中道通りの先のほうは住宅街なので、ここは海水と川の水が混ざるような、ちょうどいい場所なんです。

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