『(泣)―かっこ なき―』西炯子著 評者:トミヤマユキコ【このマンガもすごい!】
評者:トミヤマユキコ(マンガ研究者)
「あなたが最後に泣いたのはいつだったか、覚えてますか?」─そんなことを尋ねてみたくなる作品だ。世の中では「大人は泣かない」ということになっているが、本作ではいろんな大人がいろんなシチュエーションで泣いている。
第1話「そこでは誰もがひとり」の舞台は、とある企業の男子トイレ。社員の岸田は早朝に出勤し、誰もいない静かなトイレで用を足すのを日課としている。「ここで心身共に落ち着いてから1日が始まる」......はずだったのだが、その日は違った。他の個室からしくしく&ぐすぐす泣いている声がするのだ。
泣いているのは誰なのか。読者としても気になるところだ。岸田的には、川井という若い社員が怪しいと思っている。なぜなら川井には抜けているところがあって、よく叱られているからである。まだ川井だと決まったわけじゃないのに、「川井のことあんまりみんなの前で叱らないでやってください」と上司に頼む岸田。外堀から埋めていくタイプだ(いい奴!)。実はこの後、物語は意外な展開を迎えるのだが、岸田の優しさは変わらない。日本の会社組織がおおむね男性中心であることを考えると、岸田のような男は貴重だ。泣いている男を気にかけ、バカにせず、さりげなく励ます男。最高だし現実にもいてほしい。そんな男に胸の内を明かせたら生きるのが楽になる人がきっといるはずだ。
第11話「嫁ナイトメア」では、姑の三回忌に集合した長男・次男・三男の嫁たちが「お義母さんを偲(しの)んで偲んで偲びまくるわよー!!」と故人の悪口をめちゃくちゃ言う(笑)。でも仕方ない。亡くなった姑は彼女たちの文句ばかり言っていたのだから。「どんな女でも気に入らなかったのよ/息子大好きだったもん」......三人の嫁の結束が強くなるのも頷ける。
この話のどこに涙の要素が? という感じだが、法事が終わった後に酒のつまみとして作る大きな卵焼きが、涙のきっかけになっている。まさかデカい卵焼きで泣くとは思わなんだ。でもこれが、ちゃんと泣けるのである。
作者の西炯子(にしけいこ)は『娚(おとこ)の一生』や『姉の結婚』といった大人女子向けの恋愛マンガで知られており、わたしもその愛読者であるが、彼女の作品には、ラブストーリーの奥深くまでグイッと手を突っ込み、その深層にある人間と人間の関わり合いをつかみ出すものが多い。読了後に思うのはいつだって、「なんか、男女っていうより、人間の話だったな」ということである。
本作でも、大人が泣く瞬間にフォーカスしながらも、涙そのものというよりは、この社会を生きるさまざまな人間の営みをわたしたちに見せてくれているのだと思う。弱くても、脆くても、いいじゃないか、と言われているような気持ちになる。
最近では「涙活」といって、意識的に涙を流すことでストレスを軽減する活動があるという。最後に泣いたのがいつだったか思い出せないそこのあなたに、本書を是非とも処方したい。
(『中央公論』2026年1月号より)





