側近の日記に見る昭和天皇――『坪島文雄日記』と『百武三郎日記』を読み解く
日米戦争は回避できたのか
――2026年は二・二六事件から90年に当たります。昭和天皇は鎮圧を強く主張したとされますが、日記に事件に関する記述はありますか。
古川 刊行した『百武日記』には収録しませんでしたが、侍従長になる前の手帳に当時のことが少し書いてあります。
刊本に収録した記述もあります。事件1年後の1937年2月26日の「宮内省手帳」に、「二・二六事件の一周年に当り、畏(かしこ)くも 聖上には其記念を新にせられ、向後再び斯(か)かる不祥事の起こることなきを軫念(しんねん)あらせられ、御言葉少なきも、深く当時を御回想御追懐あらせらるるを排し、実に恐懼(きょうく)の至りに堪へず」と書いています。残念ながらそのときの天皇の言葉自体は書かれていませんが、事件に大きな衝撃を受けていたことが伝わってきます。
黒沢 太平洋戦争開戦前に、陸軍がクーデターを起こすかもしれないという話がありました。真偽のほどはわかりませんが、その際に天皇が二・二六事件のことを思い出すことはなかったのでしょうか。
古川 41年9月、近衛文麿首相とフランクリン・ルーズベルト大統領の日米首脳会談が立ち消えになったあとは、戦うのであれば早く開戦して優位に進めたほうがいいと、天皇はそれまでと意見を一変させます。ですから陸軍との対立はそこまで頭になかったのではないでしょうか。
黒沢 本当にそうなのでしょうか。
古川 内大臣の木戸幸一が天皇を二度も諫めています。これまでは木戸が好戦派で天皇は非戦派という説もありましたが、木戸のほうが開戦を必死に止めている。木戸はもともと商工省の官僚ですから、経済的な面には敏感で、戦争は到底無理だと理解していたのでしょう。
木戸はある時期から百武を信用していろいろ情報提供をしています。戦争をしないほうがいいとも話しています。『百武日記』41年11月20日にあるように、「上の辺の決意行過ぎの如く見ゆ。依て近着の米情報(「ル」大統領は妥結を熱望すと)を上覧に供し、飽く迄平和の途を尽すべき様外相に御印象付け被遊様御願したる由」と木戸はいっています。野村吉三郎駐米大使からの電報を天皇に見せ、まだ日米首脳会談の余地はあるので、交渉を続けたほうがよいという考えを東郷茂徳(しげのり)外相が抱くようにしてほしいとお願いした、と。緊迫した状況がこれだけ具体的に書かれているので、実際にやりとりがあったと判断できます。
この電報は、野村のもとにウォルシュ司教という、最初は民間人として非公式の日米交渉に関わっていた人物が11月19日にやって来て、ルーズベルト大統領以下、日本が中国から撤兵すれば経済制裁をとめる考えだと個人的に伝えてきた、というものです。野村はその直前の電報でも、国力を考えるとアメリカとの戦争など無理だと伝えてきていて、この申し出を受けたほうがいいと言っています。けれどもこの話はその後、中国側が反対して、アメリカ側でも立ち消えになります。もしここで日本が受けていたら、局面が大きく変わったかもしれません。
黒沢 中国としては抗日を掲げることで国共内戦を避けていたわけです。国民党の蒋介石は、内戦によって自分たちの存在が危うくなると考えていたわけですから、日本に戦争をやめてもらっては困るのですよね。
古川 日米開戦はアメリカに乗せられた結果といった説もありますが、こうした事実を見る限り、アメリカもこの段階では開戦しなくてもよかったのですね。当時の外交電報は残っていて、アメリカ側の考えはすでに明らかになっています。
黒沢 撤退の期限は明確に示さなくとも、撤兵の意思表示さえすれば、とりあえず交渉は継続し、開戦は回避できた。しかし軍事指導者でもある昭和天皇としては、そんな曖昧なことはできませんでした。
古川 天皇も大軍を展開している状況をゼロにする決断はできなかったということです。
黒沢 嶋田繁太郎海相や山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官をはじめ、日米開戦なんてとんでもないと考えている人たちは結構いたはずです。嶋田の日記などを見ていると、内心そう思っていたことがわかります。でも開戦の可否ではなく、海軍は戦えるかと問われると、やれないとはいえない。そしてそれが海軍の公式見解になってしまう。その論理に、天皇だけでなく他の人たちも、何とかなるはずもないのに納得して、開戦に向かってしまいました。
古川 百武はこの時期、これまでの天皇であればもっと悩んでもおかしくないのに、なぜあんなにすっきりした顔をしているのだろうかと書いています。天皇は、こうなったら米英と戦争をするしかないと割り切っていたのだと思われます。
構成:小山晃
(『中央公論』3月号では、『坪島日記』『百武日記』の概要や内容、日米開戦前後の昭和天皇の実像などを紹介している。『侍従武官坪島文雄日記』下巻は3月25日刊行予定。)
1953年東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(法学)。宮内庁書陵部編修課主任研究官、東京女子大学教授などを歴任。著書に『大戦間期の日本陸軍』(吉田茂賞)、共編に『濱口雄幸 日記・随感録』『侍従武官 坪島文雄日記』などがある。
◆古川隆久〔ふるかわたかひさ〕
1962年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)。著書に『昭和天皇 増補版』(サントリー学芸賞)、共編に『昭和天皇拝謁記 初代宮内庁長官田島道治の記録』(毎日出版文化賞)、『百武三郎日記 侍従長が見た昭和天皇と戦争』などがある。





