現場を無視した国会の議論
勝股 私も現場にいましたが、批判的な記者が半分ぐらいいましたね。あの場合、自衛隊は救出しなければいけない。しかし、人員輸送などとごまかして報告せざるを得なかった。つまり、現実の活動と与えられた任務との乖離が問題でした。
一方で「派遣部隊は実施計画にないことをやっている。自衛隊を海外に出すと何をするか分からない」といったことを書きたい記者もいた。でもそういう記者も徐々に考えが変わっていったようです。現場にいて、法律が実態に追いついていない、派遣するなら法律の整備が必要だと実感したのだと思います。
とはいえ、当時の村山富市政権は官邸で、AMDAの救出を「輸送業務」と公式発表しています。その後も二〇〇二年に起きた東チモールの首都ディリでの暴動で、自衛隊の派遣部隊が取り残されていた国連病院の職員ら四〇人以上を救出しましたが、このときも救出ではなく輸送という報告になりました。政府は実情を分かっていながら、いまだに救出を輸送と言い換えざるを得ない状況を続けていますね。
神本 これは憲法九条からくる本質的な問題だと思います。問題は自衛隊の生い立ちそのものです。自衛隊の原点は警察予備隊です。だから、今でも自衛隊は警察官職務執行法を準用しています。ただ、自衛隊が警察と異なるのは、防衛出動、治安出動、災害派遣など事態別に出動が規定され、それに伴って権限が定められていることです。防衛出動などの命令が出ない限りは権限がなく、平時は法的に丸腰なんです。だから現場がリスクを負って解決せざるを得ない。
私は当時、防衛庁内局の官僚から非公式に「何かあったら防衛庁としてバックアップします」と言われました。でも、自衛隊が相手を殺傷したときなどに現地の人が日本の法律を逆手にとって訴えたら、我々は訴追される。そのときに我々を守ってくれる法的な枠組みがないのです。
自衛隊を守った「誤解」
勝股 ザイールでは連日のように緊急出動がありました。難民キャンプで手榴弾が破裂したこともあった。
神本 事件が発生したのは、十月二十三日の夜中でした。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の人が駆け込んできて、ムグンガキャンプで二十数名の負傷者が出たのでゴマ病院に支援に来てもらいたいと。真夜中に出動したことがなかったので、機関銃を装備した指揮通信車という装甲車を先頭にして小銃を持った警備隊を付けて、医師を連れて行きました。武器使用は正当防衛、緊急避難のときしかできないので、あとは現場指揮官に任すという気持ちで派遣しました。
勝股 現地の人から見れば、自衛隊は他国の軍隊と同様の権限と実力を行使できると思われていた。神本さんは当時、現地の人の「錯覚」によって部隊の安全は守られていたとおっしゃっていましたね。
神本 ザイール軍は、難民は自国民ではないから力で抑えつけるという考え方でした。フランス軍も泥棒には威嚇射撃で対応したと聞いています。軍事施設に入れば追い払われ、場合によっては射殺される。それが海外の常識なのです。現地の人は自衛隊もそうすると思っていた。だから我々は意識して警備訓練や警戒訓練をやった。いざとなったら撃つぞというデモンストレーションです。そうやって住民が「誤解と錯覚と勘違い」をするようにし向け、無用な摩擦を起こさないようにしたのです。
自衛隊は各国の軍隊に実力的には負けていないという自信はありますが、実際にはその実力を行使する権限がない。だから「誤解と錯覚と勘違い」でしのがないといけない。でもこのやり方は中国には通用しません。彼らは、重罪を犯さず海上保安官を襲わなければ、警察官職務執行法では射殺されず、撃沈もされないことを知っています。だから尖閣諸島に堂々と中国の漁船や公船が来るんです。警職法という自国民を相手にした法律を国外犯に適用するのは間違いだと思うんです。だから私は、「自衛官職務執行法」を作るべきだと言ってきました。それを自衛隊だけでなく国外の勢力と対峙する海上保安庁に準用すれば、領域警備もやりやすくなると思います。
勝股 これまでの海外活動などを通じて、自衛隊には多くの教訓があります。ただ政治のレベルでは、そうした現場の教訓が生かされず、法律の整備はほとんど進んでいない状況です。
神本 日本の防衛を考えると、警察予備隊の延長線上の法体系から、いかに有効な国防の法体系に切り替えるかということだと思います。警察予備隊の法的枠組みは、事態別に出動が規定され、事態が起きていると認定されなければ自衛隊には法的権限が何も与えられず、実際に動けません。このため事態に当てはまらないグレーゾーンが一番の問題になります。防衛出動と言えない状況で外国人が尖閣諸島に上陸してきたら対応できません。見直すのは大変ですが、早く警察予備隊から脱皮してほしいと願っています。