森本あんり✕渡辺靖「陰謀論大国アメリカ」はどこへ行くのか
人間社会に陰謀論はつきもの?
森本 「陰謀論」と言うといかにも怪しいですが、おっしゃるように、目に見える世界を超えたピクチャーを作ろうとする、理性の力が及ばないところへと敢えて手を伸ばしていこうとすること自体は、人間の理性に固有のはたらきだと思います。その意味で宗教と陰謀論の間に大きな区別はありません。
これは宗教とカルトの違いは何かという難問にも重なるのですが、一つ難しいのは、宗教がカルト化する場合と、ある推測が陰謀論化する場合には並行性があるということです。ある宗教への信仰が極端に高まると、一般的な常識とぶつかって折衝になることがあります。そのとき信仰上の世界理解が壊れて常識が浸透すればいいのですが、壊れることなくさらに深みにはまってしまうことが実は多い。これがカルト化の力学です。
今アメリカに存在するキリスト教の変わり種は、どれも十九世紀に始まっています。とりわけウィリアム・ミラー牧師が予告した「一八四三~四四年に世界が終わる」という終末(キリストの再臨)待望論には多くの人が期待しました。しかしその日が来ても、終末は訪れなかった。期待した人たちはガックリして、半分は消えていきましたが、残りの半分はそのマインドセットから抜けられず、さらに深みにはまっていった。陰謀論は、こういうところから始まるのではないかと考えています。
渡辺 神の思し召しを守らなければ何かが起きるという宗教的世界観は、科学的根拠はないものの、ある程度そういうものとして受容されているし、脅威と思われていませんよね。ここ二、三年で盛り上がっている陰謀論は常識的な知的エクササイズの域を超えた、より先鋭的で破壊的なカルト的存在ということなのでしょうか。
森本 ウィリアム・ミラーの終末待望論に対する「大失望(Great Disappointment)」は、キリスト教の歴史からすると不思議なことではないんです。そもそも聖書には「まもなく終末がやってくる」と記されていて、みんながそれを待っていたわけですから。やがて「終末の遅延」という問題に直面すると、切迫しているはずだった終末を脇へ押しやり、次世代の教育や組織づくりを始めていった。そうして成立したのがキリスト教なので、突拍子もない思想構成には慣れっこです。
中世末期、宗教改革前夜には、かなり危険な終末思想が乱立しました。社会不安が増大し、人々の行き場のない怒りが鬱積したとき、それを表現するための宗教的高まりが起きるのは、キリスト教に限ったことではありません。日本でも末法思想から「ええじゃないか」や「一向一揆」があった。社会不安が抑えられなくなると、陰謀論の暴走が起きやすくなるのでしょう。
渡辺 陰謀論と対比されるのが科学です。しかし客観性や反証可能性を重んじる科学も、その前提には特定のものの見方や世界観が埋め込まれていると言えます。一見、普遍的、客観的に見える科学も、実は各時代や集団のバイアスを受けている。
カミュは「われわれはみんなペストの中にいるのだ」と記しました。ペスト=悪は外部にあるのではなく、自ら生きることに内在しているという意味です。ならば我々も陰謀論の中で生きていかざるを得ない存在なのかもしれませんね。
森本 二十世紀後半以降、科学そのものへの信頼が揺らぎ始めましたからね。トマス・クーンが一九六二年に『科学革命の構造』で、科学のパラダイムも結局は一つの信念体系に過ぎず、断続的にパラダイムシフトが起きるのだと言い、そこから相対主義が出てきた。この考え方が今、陰謀論が人々に伝播している背景にあると感じます。
渡辺 五年前には健康に悪いと言われた食品を、もっと食べろと平気で言ったりしますからね、専門家だって(笑)。そう考えると、陰謀論を科学と完全に切り離して別物のように議論するという態度自体を、やはり疑う必要がありそうです。
(『中央公論』2021年5月号より抜粋)
1956年神奈川県生まれ。国際基督教大学、東京神学大学大学院を経て、プリンストン神学大学院博士課程修了。プリンストン神学大学院やバークレー連合神学大学院で客員教授を務める。専門は神学、宗教学。主な著書に『反知性主義』『異端の時代』などがある。最新刊は『不寛容論』。
◆渡辺 靖〔わたなべやすし〕
1967年北海道生まれ。上智大学外国語学部卒業。ハーバード大学Ph.D.(社会人類学)。パリ政治学院などで客員教授を務める。専門は文化人類学、文化政策論、アメリカ研究。『アフター・アメリカ』(サントリー学芸賞)、『文化と外交』『リバタリアニズム』『白人ナショナリズム』など著書多数。