混迷のパレスチナ情勢 PASSIA・マフディー博士に聞く

マフディー・アブドゥルハーディー(パレスチナ国際問題学術研究協会理事長)/聞き手:ハディ ハーニ(慶應義塾大学助教)
マフディー・アブドゥルハーディー氏
 東エルサレムで4月中旬、パレスチナ人とイスラエル側の衝突が発生した。対立は激化し、ガザ地区でもイスラエルとパレスチナ人組織「ハマース」が5月10日から交戦し、11日間の戦闘でパレスチナ人が約250人、イスラエル側は12名が犠牲となった。今回の衝突、またパレスチナ和平について、パレスチナ国際問題学術協会の創設者であるマフディー・アブドゥルハーディー理事長に聞いた。
(『中央公論』2021年8月号より抜粋)

若者が尊厳を求めて立ち上がった

─東エルサレムやガザ地区などで衝突が起きました。今回の事件と背景をどう理解したらよいでしょう。

 第一に、我々はこの紛争の構成主体であるイスラエルとパレスチナについて理解する必要があります。まずイスラエルは二〇一九年四月の国会選挙以降、ネタニヤフ前首相による連立協議がまとまらず、三度の再選挙を経験しました。これはイスラエルの戦略・政策・統率の危機を示します。また右派が台頭し、パレスチナに対して極めてネガティブな態度をとっています。

 そしてパレスチナです。ネタニヤフ前首相が二国家案の実現を阻んだことで、和平プロセスや交渉が膠着。第三次中東戦争(一九六七年)後にイスラエルが占領した地域への入植が継続し、パレスチナのガザ地区とヨルダン川西岸地区は完全に分断されました。これによってパレスチナ解放機構(PLO)とパレスチナ自治政府、そしてこれらをまとめるアッバース大統領を弱体化させています。そんな中、パレスチナ人、特に若者たちが、尊厳を持って生きるため、また共存するため、抵抗に立ち上がったのです。

 第二に、このコロナ禍で二つの社会の分断が深まったことが挙げられます。友人や家族に会えず、他者への認識が希薄化し、各々は自分が生き残ることを第一に意識するようになりました。やがて我々は、イスラームにおける聖なる月、ラマダーン月に入りましたが、ラマダーンの過ごし方は、コロナ禍での生活様式とは完全に相反するものです。ラマダーンは国民を象徴する行事で、家族が集まり、祈り、夕食をともにします。アル=アクサー・モスク(※1)をはじめ、エルサレムのいたるところに埋め込まれた象徴が、パレスチナのプライドを作ってきました。特にこのコロナ禍において、人々は安息できる場所を求めていました。

 しかし残念なことに、イスラエル当局は右派の主張する治安維持の名目のもと、一方的に主権を行使し、聖地でのパレスチナ人の自由を剥奪しました。礼拝中にもイスラエル警察がアル=アクサー・モスクに踏み込んで攻撃し、若者を逮捕し、またパレスチナ人の財産を没収しました。さらに移動制限により、エルサレムは周囲から隔離された「監獄」と化したのです。エルサレムに根差す国民的プライドや宗教的要素が重なり合い、抵抗運動に発展したのです。

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