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保坂三四郎 ロシア・プーチン政権でクーデターは起こるか? 国家を手中に収める「FSB」の浸透と統治

保坂三四郎(エストニア外交政策研究所 研究員)
写真提供:photo AC
 ウクライナへの凄惨な攻撃を続けるロシア。独裁体制を築くプーチン大統領を止めるべく、内部でのクーデター発生を願う声も聞こえるが、それはあり得るのか? ロシア研究者の筆者が、FSBを中心に築かれたプーチンの国家体制を分析する。
(『中央公論』2022年5月号より抜粋)

 ウクライナに全面侵攻し、国際社会から完全に孤立したロシア。形式的な独立系メディアさえ閉鎖され、多くの外国企業も撤退。体制に反対する人々の取り締まりは一層強化され、さながらペレストロイカ(改革)期以前のソ連のようだ。無謀な作戦とウクライナの国民的抵抗でロシア軍が想定外の損害を受ける中、ロシア内部での軍事クーデターに望みを託す声も聞かれる。

 他方、この問題を考える際に押さえておかなければならないのは、ロシアは軍事大国ではあるが、軍人による国家ではないことだ。国を動かすのは、プーチン大統領の出身機関であるソ連国家保安委員会(KGB)を継承したロシア連邦保安庁(FSB)を中心とする体制「システマ」なのである。本来FSBは、国家機密の保護やスパイの摘発を目的とした防諜機関であったが、その権限はプーチン体制下で「国家の中の国家」と呼ばれるほどに肥大化した。KGB/FSBのような巨大なインテリジェンス機関が政府、軍、経済、社会のあらゆる層に浸透し、定義が広くかつ恣意的な「保安(セキュリティ)」を監視する国家を「防諜国家(カウンターインテリジェンス・ステート)」と呼ぶ。民主主義国家では議会等がインテリジェンス機関に対し一定のチェック機能を果たし、ソ連時代ですら、形式的ではあったが共産党がKGBを監督する立場にあった。しかし、ロシアにはFSBを監督する機関がない。本稿ではロシアという国家の全てを手中に収める危険な組織FSBについて、特にプーチン体制の今後を占う上で必須の点に絞って解説する。

チェキズム――永遠なるスパイ探し

 1990年3月、ソ連は共産党一党独裁を放棄した。党の「剣と盾」だったKGBの変わり身は早かった。KGBは、1950年代にスターリン主義を捨てたように、レーニンの共産主義をあっさり捨てた。しかし、残ったものがあった。レーニンの時代にフェリクス・ジェルジンスキーが創設した政治警察、チェーカー(全ロシア非常委員会)への信仰、「チェキズム」である。これは、病的なスパイマニアで、国内外にかかわらず、どこにでも敵のスパイが潜入し、体制転換の陰謀を企てているとする世界観である。KGBの前身組織の内務人民委員部(NKVD)は、スターリンの下で大粛清を行ったが、KGBはこれを「別組織」として、不都合な過去を切り離す一方、NKVDの前身であるチェーカーを礼賛した。すでにペレストロイカが始まっていた1987年にはジェルジンスキーの生誕110周年が盛大に祝われ、各地に銅像が建てられた。また、プーチンが「元KGBオフィサー」という言い方は間違っていると公言するとおり、当時のKGB議長ヴィクトル・チェブリコフは、「チェキスト」(チェーカー/KGB職員)は「生涯を通じた職業」であると述べ、そのアイデンティティを強調した。1991年のKGB主導の8月クーデター失敗後、モスクワのルビャンカ広場にあったジェルジンスキー像は民衆によって倒されたが、ソ連崩壊後もKGBの後継機関はジェルジンスキー信仰を続け、職員は自らを「チェキスト」と名乗る。

 1999年12月20日、FSBの「チェキストの日」記念行事に参加したプーチン首相(当時)は、祝辞で「政府へひそかに派遣されたFSB職員は、初期の任務を遂行したことをここに報告する」と冗談のように言ってみせた。それから1年後の「チェキストの日」、大統領代行となっていたプーチンは、FSB職員を前に「権力の完全な掌握という任務は完了した。我々の記念日をお祝いする!」と述べた。組織として体制転換を生き抜いたチェキストの勝利宣言ともとれよう。

 他方、今日のチェキストが、ソ連のチェキストと異なるのは、闇社会との深い癒着である。1990年代、FSB、マフィア、行政が三位一体となったのが、サンクトペテルブルク市であり、その頂点に君臨したのが当時の副市長であるプーチンであった。プーチンがFSB長官、首相、大統領へと出世するに従い、この「システマ」がロシア全体に広がる。
(3月21日脱稿)

保坂三四郎(エストニア外交政策研究所 研究員)
〔ほさかさんしろう〕
1979年秋田県生まれ。上智大学外国語学部卒業。旧ソ連非核化協力技術事務局勤務を経て、2018年から2年間在ウクライナ日本大使館専門調査員を務める。20年より現職。論文「ウクライナにおける地域ファクターと歴史観」でロシア・東欧学会研究奨励賞受賞。