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林成蔚 加藤洋一 台湾不在の台湾有事論

林成蔚(財団法人國防安全研究院執行長) 加藤洋一(同研究院客員研究員)
写真提供:photo AC
 中国の台湾侵攻のシナリオが現実味を帯びる中、日本での「台湾有事論」は、台湾から見てどう映っているのか。台湾在住の日台の研究者が論じます。
(『中央公論』2022年11月号より抜粋)

「新常態」の実相

 中国は8月4日、米国のナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問への抗議を口実に、大規模な軍事演習に踏み切った。台湾封鎖を想定したもので、台湾全体を包囲するように六つの実弾演習区域を設定し、弾道ミサイルも打ち込んだ。中国軍の航空機や艦艇は、ペロシ議長が台湾を離れた後も、繰り返し台湾海峡の「中間線」を越えて台湾の領空、領海に迫っている。それまでの台湾海峡の現状(status quo)は失われ、「新常態」(new normal)が生まれたと、専門家は説明している。

「新常態」は中国政府が正式に使っている用語ではないし、台湾も認めていない。ただ、以前の「現状」がすでに姿を消したことは事実だ。中国が台湾海峡の現状変更を試みるのは、今に始まったことではない。台湾国防部は中国軍機による防空識別圏への侵入の増加を受けて、2020年9月17日から状況の公表を始めたが、侵入機のパイロットは無線で、台湾海峡に「中間線」は存在していないと通告してくるという。さらに、米メディアの今年6月の報道では、軍事演習の数ヵ月前から、中国当局は米国に対し、台湾海峡は国際海峡ではないと主張するようになっていた。台湾海峡は中国の内海だと示唆するものだ。一連の動きをたどれば、中国側がペロシ議長の訪台前から、台湾海峡の現状を変えようとしていたことが分かる。

 台湾側はかねて、中国が「由演転戦」(演習から戦争へ転じる)という戦略に基づいて行動していると見ている。中国側が台湾海峡の中間線の東側に戦闘機や軍艦を常時、展開するようになると、この「演習」から「戦争」への切り替えの見極めが難しくなる。台湾には、これまでよりはるかに短い時間内での有事対応が求められるだけでなく、現在、中間線東側の空域で実施している警戒監視任務やその訓練が、安全にできなくなる。事故が起これば、軍事的衝突への導火線にもなりかねない。

 さらに深刻な問題は、このような中国による一方的な現状変更が許されれば、今後中国は自らに有利なタイミングと方法で、次から次へと台湾側の戦略的利益を、いわゆる「サラミ方式」で蚕食していくようになることだ。最終的に中国が「武力統一」という選択肢を取る環境が整うことになってしまう。

 台湾は今、国際社会がこの状況を正しく理解し、深刻さを認識するよう呼びかけている。台湾が中間線を維持するために航空機や艦艇を展開すると、緊張をエスカレートさせていると誤解されかねないからだ。また、台湾が中国の挑発に単独で対応しようとすれば、はるかに膨大な軍事的資源を持つ中国にとって好都合な、消耗戦に引き込まれてしまう恐れもある。9月3日のロシアの「対日戦勝記念日」に、中国とロシアが日本海で合同の実弾射撃訓練を行ったことは、両国の日本に対する強いメッセージだ。「新常態」が台湾海峡に留まらないことを示している。

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