細谷雄一×板橋拓己 ポスト冷戦期の転換点と「柔らかく分断された平和」

細谷雄一(慶應義塾大学教授)×板橋拓己(東京大学教授)

パワーゲームの時代へ

細谷 板橋さんの問題意識を、おそらく私も共有していると思います。1990年代は非常に楽観的な見方が大勢で、民主化とグローバル化が同時進行していくだろうと考えられていました。2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に正式加盟したことも、1998年からクリミア併合の2014年までロシアが主要8ヵ国首脳会議に参加し「G8」だったことも、楽観論に基づく協調路線であったと言えます。09年のベルリンの壁崩壊20周年式典の際には、まだ冷戦終結のユーフォリア(多幸感)が残っていたというご指摘は、翌年にNATOが定めた戦略概念にも見て取ることができます。

 この文書の中で、ロシアはNATOと協力して世界の安全保障問題に取り組んでいく「戦略的パートナー」と位置づけられています。戦略文書は約10年間有効ですから、この時点ではロシアとの中長期的な友好関係は続き、敵対的な関係になることは避けられるだろうと予想されていたことがわかります。


板橋 ところがそうはならなかった。


細谷 22年に改定された戦略概念では、ロシアは直接的で最も重大な「脅威」と位置づけられました。「脅威」という言葉を使わねばならないほど、何かが大きく変わったわけですね。


板橋 「脅威」はまた、ロシアが西側諸国に抱いていたものでもありますね。03年にグルジア(現在のジョージア)の国民が起こしたバラ革命や、04年のウクライナ大統領選挙の結果を受け、バラ革命に触発されたウクライナ国民が起こしたオレンジ革命など、旧ソ連構成国で起こった「カラー革命」は、プーチン大統領にとっては西側がロシアを包囲する動きにも見えたはずです。


細谷 そう思います。08年にルーマニアのブカレストで開かれたNATO首脳会議では、息子の方のブッシュ米大統領がグルジアとウクライナのNATOへの将来の加盟を認めましたが、ロシアへの配慮から加盟交渉は始まりませんでした。しかしロシアからすれば、これは旧ソ連構成国へのNATO拡大の動きにほかならず、カラー革命の背後に「民主化ドミノ」を目論むブッシュ政権やネオコン勢力の暗躍があるのだと、プーチン大統領に確信させる契機ともなったはずです。

 08年には国際秩序の変化を象徴する事件がアジアでも起こりました。12月に発生した中国公船による尖閣諸島接続水域への侵入です。この年は、5月に胡錦濤国家主席(当時)が来日し早稲田大学で講演するなど、日中が頻繁に首脳会談を行い、東シナ海を「平和・協力・友好の海」とし、ガス田などエネルギー問題も国際法に基づいて平和裏に解決することが謳われていましたが、侵入はそれに反する行動でした。10年には中国が日本を抜いてGDP(国内総生産)世界第2位になるなど、中国の成長と日本の衰退を背景に明らかにパワープレイを仕掛けてきた。そのような意味でも、08年のリーマン・ショックが国際政治に与えた影響は非常に大きいものがありました。

 もう一つの契機は、すでに触れた14年のロシアによるクリミアの併合と、ウクライナ東部への侵攻です。これにより民主主義の拡大への楽観は完全に後退し、板橋さんのおっしゃるようにヨーロッパが反省ムードに包まれるようになりました。そして、17年にはドナルド・トランプがアメリカの大統領に就任し、イギリスでは20年に当時のボリス・ジョンソン首相がブレグジットを実現させ、ポピュリズムが民主主義の土台を大きく揺るがしている現実を浮き彫りにしました。これらの冷戦後30年の流れの中に、ウクライナ危機も位置づけられると思います。

1  2  3