細谷雄一×板橋拓己 ポスト冷戦期の転換点と「柔らかく分断された平和」

細谷雄一(慶應義塾大学教授)×板橋拓己(東京大学教授)
板橋拓己氏(左)、細谷雄一氏(右)
 冷戦終結後の国際秩序のなかで、現在のウクライナ戦争をどう位置づけるか――。細谷雄一慶應義塾大学教授と板橋拓己東京大学教授が語り合った。
(『中央公論』2023年9月号より抜粋)

一つにならなかった世界

──1991年12月のソビエト連邦消滅をもって東西冷戦が終結し、すでに30年以上経ちました。ロシアがウクライナに侵攻し、中国による台湾侵攻が懸念されている現在、30年前には確かにあった、自由と民主主義で世界が一つになるという高揚感は影も形もありません。この状況をどう捉えたらよいのでしょうか。


細谷 私は、冷戦終結のプロセスそのものに、現在直面している多くの問題の原因が内包されていたのではないかと見ています。具体的にいえば、89年に西ドイツを訪れたジョージ・H・W・ブッシュ米大統領が、マインツで「機が熟しました。ヨーロッパを一体で自由なものにしようではありませんか」と演説し、この「一体で自由なヨーロッパ(Europe whole and free)」という理念がポスト冷戦期の国際秩序を大きく規定したものの、そこには本質的な矛盾が内包されていたという見方です。


板橋 まず想起されるのは2009年にベルリンで開かれた、ベルリンの壁崩壊20周年を記念する行事で、冷戦終結の立役者となったヘルムート・コール元西ドイツ首相、ブッシュ元米大統領、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が顔を揃えた時のことです。前年に起こったリーマン・ショック(米大手投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけに世界中に広がった金融・経済危機)の痛手が消えない中ではありましたが、国際社会が自由と民主主義の下に一つになったことを祝賀するムードはまだ残っていました。

 ところが30周年の19年になると、ドイツのみならずヨーロッパ全体が、反省ムードに傾いていました。式典のスピーチや関連出版物を見ても、「我々はどこで間違えたのか」「もっとうまくできたはずだ」という論調が多かった印象です。それも無理のない話で、この間のヨーロッパは09年以降のユーロ危機、14年に始まったウクライナ危機、中東紛争を逃れた100万人以上の難民が押し寄せた15年の「難民危機」、そして16年のブレグジット(イギリスのEU離脱)決定と、絶えず危機に直面していました。


細谷 冷戦終結をハッピーエンドとして捉える雰囲気は、危機の連続で消えてしまったわけですね。


板橋 その通りです。とくにユーロは欧州連合の創設を定めたマーストリヒト条約の柱の一つとなった通貨ですから、ユーロ危機は象徴的な出来事でした。その後、もう少し用意周到に通貨統合を設計していれば、ユーロ危機は回避できたのではないかという考え方も出てきています。

 また、東欧諸国の革命についても、最近は、もっと別のやり方で支援していたら、ポピュリズム政権の台頭を防ぐことができたはずだ、という議論がなされるようになりました。


細谷 東西ドイツの統一プロセスが、ポスト冷戦期の国際秩序をも強く規定したということですね。


板橋 そこで、拙著『分断の克服 1989─1990』で私が着目したのは、1974年から92年まで(西)ドイツの外相を務めたハンス=ディートリヒ・ゲンシャーです。彼は卓越した外交手腕で、東西ドイツの統一や冷戦終結に大きく寄与した人物ですが、ヨーロッパの安全保障秩序として、NATO(北大西洋条約機構)とワルシャワ条約機構を将来的に解体して、全ヨーロッパを包み込むような安全保障体制を作ることも構想していました。ゲンシャーの全ヨーロッパ安全保障構想は実現せずにドイツは統一し、NATOに帰属したわけですが、東側との友好路線は継続されました。

 そして90年代以降のドイツでは、旧東欧諸国の民主化や市場経済への転換を支援しつつ、ロシアや中国とも外交と貿易を続けることでいつしか彼らも民主主義国として欧米にキャッチアップするはずだという思想が根強くなっていきました。その路線が2010年代以降大きく揺さぶられているというのが私の見方です。

1  2  3