村田晃嗣 「21世紀のマーシャル・プラン」はなるか

村田晃嗣(同志社大学教授)
写真提供:photo AC
 第二次大戦後の欧州復興で重要な役割を担ったアメリカ。ウクライナ戦争においても、同じ役割を期待できるのか――。村田晃嗣同志社大学教授が論じる。
(『中央公論』2023年9月号より抜粋)

 最近、オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督の映画『キャロル・オブ・ザ・ベル』を観た。1939年のポーランド、スタニスワヴフで物語は始まる。ユダヤ人の裕福な弁護士一家が、ポーランド人家族とウクライナ人家族を同時に下宿人にする。子供たちを介して、やがて三つの家族は文化や宗教を超えて親しくなっていく。

 だが、第二次世界大戦が始まり、ソ連がポーランドに侵攻してくる。ポーランド人の父親はおそらく戦死し、母親もソ連軍に連行される。ウクライナ人夫婦がポーランド人の娘を引き取る。次に、ナチス・ドイツが侵攻してくる。そこで、ユダヤ人夫婦は強制収容所に送られ、娘をウクライナ人夫婦に託す。皮肉にも、ドイツ軍将校の一家が2階に引っ越してくる。実は、ウクライナ人の父親はゲリラ活動に参加しており、ドイツ軍に処刑されてしまう。再び、ソ連軍がやって来る。ドイツ軍将校夫婦は行方不明になり、その息子までをウクライナ人の母親が預かることになる。だが、ドイツ人の少年はソ連軍に射殺され、ウクライナ人の母親は逮捕されシベリアに送られる。そして、ウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人の三人の娘たちはソ連の施設に収容される。

 78年にニューヨークのコンサート会場で、三人は再会を果たすことになる。三人の中年女性たちは、涙ながらに、子供時代にウクライナ人の母親から学んだ「キャロル・オブ・ザ・ベル」の歌を口ずさむのである。

 三つの家族を通じて、ウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人が激動の20世紀を過ごしてきたことが、改めてわかる。監督はウクライナ人で、舞台になったスタニスワヴフ(イヴァーノ=フランキーウシク)も今ではウクライナの一部である。そして、彼女たちが平和のうちに再会できたのはニューヨーク、つまり、超大国アメリカの中心部であった。三人が再会した2年後の80年には、ポーランドでは独立自主管理労働組合「連帯」が結成され、ポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ2世がこれを支持する。さらに、その6年後の86年には、ウクライナでチェルノブイリ原子力発電所が爆発する。これらの出来事が、ソ連帝国の崩壊につながっていくのである。

 そのソ連崩壊を、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は「20世紀最大の地政学的悲劇」と呼んでいる。悲劇か否かはさておき、ソ連の崩壊は地政学上も思想上も大変化であった。イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、前世紀を「短い20世紀」と呼んだ。20世紀の起点は第一次世界大戦が勃発した1914年で、その終点はソ連が崩壊した91年だという。すると、20世紀はわずか77年ということになる。プーチン大統領によるウクライナ侵攻は、「20世紀最大の地政学的悲劇」または「短い20世紀」の終わりへの30年遅れの異議申し立てなのである。

 この異議申し立ての結末は、まだまだ見えてこない。だが、どんな戦争もいつかは終わる。去る6月には、ロンドンでウクライナ復興会議も開催され、日本を含む支援国や機関が総額600億ドルの追加支援に合意した。歴史上、大きな戦争が終わると、国際秩序に激変が生じる。米ソ冷戦もそうであった。

 そこで本稿では、まず、ウクライナ戦争の特徴を検討する。次いで、20世紀以降の主要な戦争の帰結とアメリカの関与を瞥見する。その上で、ウクライナ戦争後の国際秩序とアメリカの役割について考えてみたい。

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