村田晃嗣 「21世紀のマーシャル・プラン」はなるか
ウクライナ戦争の特徴
まず、ウクライナ戦争の特徴である。これについては、すでに様々な議論がなされている。ここでは、筆者なりに簡単にまとめてみよう。
根源的には、半世紀にわたるロシアの衰退へのプーチン大統領の危惧があろう。日本が最初の大阪万博で沸き立っていた1970年には、ソ連の国内総生産(GDP)はアメリカの4割に達していた。この頃がソ連のピークである。91年にそのソ連が解体した時、ソ連のGDPはアメリカの13%にまで下落していた。つまり、「20世紀最大の地政学的悲劇」は、起こるべくして起きたのである。さらに、今日ではロシアのGDPはアメリカの7%にすぎない。中国と比較しても、ロシアのGDPも人口も中国のわずか1割である。もはや、ロシアは米中に比すべき大国ではない。ロシアのGDPは韓国のそれより小さく、ロシアの貿易総額は台湾のそれより低い。
筆者の住む京都市は、71年に旧ソ連のキーウ市(現在はウクライナの首都)と姉妹都市になった。二つの古都の距離は8000キロである。地球の直径が1万3000キロであるから、日本から見れば、この戦争はまさに地の果てで行われている。にもかかわらず、日本に住むわれわれもこの戦争の推移に注目し、ウクライナの人々を何としても支援しようとしている。それは何故か。
まず、この戦争はエネルギーと食糧を人質にした戦争であり、その双方に乏しい日本の暮らしや経済を直撃している。次に、戦場は地の果てであろうとも、戦争を起こした張本人は、われわれの隣人である。また、われわれもロシアとの間に北方領土問題を抱えている。
さらに、規範に関わる問題が二つある。第一に、日本国憲法は、いつの日か国際連合による平和が到来するという世界イメージを前提にしている。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という一文、ここにある「平和を愛する諸国民」とは国際連合のことである。国際連合憲章4条1項には、「国際連合における加盟国の地位は、(中略)すべての平和愛好国に開放されている」とある。また、憲法9条の「戦争の放棄」も、国連憲章による「武力による威嚇又は武力の行使」の禁止(2条4項)に基づいている。今、われわれの憲法が前提とする国連による平和が、国連安全保障理事会常任理事国によって踏みにじられようとしている。われわれが他人事でいられるわけがない。
第二に、かつてウクライナが核保有国だったことである。旧ソ連が解体した際、ウクライナは多くの核兵器を継承した。だが、94年にウクライナは核拡散防止条約(NPT)への加盟を決め、アメリカ、イギリス、ロシアがウクライナの平和と安全を保障したのである(ブダペスト覚書)。つまり、核兵器を自発的に放棄した国が、その安全を約束した核保有国に攻撃されているのである。これを座視しては、戦後日本が唱え続けてきた「核兵器のない世界」が実現するはずはない。
ウクライナ戦争のさらなる特徴は、その複合性であろう。この戦争の第一層は、衰退に焦るロシアによるウクライナへの侵略行為であり、上述のように、明らかに国連憲章違反である。次に、この戦争はロシアとヨーロッパとの価値観をめぐる争いである。フランス革命以来2世紀以上にわたって、ヨーロッパが多くの革命と戦争を重ねながら培ってきた価値観、つまり、自由、平等、博愛、基本的人権の尊重、国境の不可侵などを、ロシアが土足で踏みにじっている。これを黙認すれば、ヨーロッパはもはやヨーロッパでなくなってしまう。そして根底では、この戦争はアメリカと中国との覇権争いである。アメリカの支援なしにウクライナがロシアに対抗できるはずもなく、中国の援助なしにロシアも先進諸国による経済制裁に長期にわたっては耐えがたい。
このように、ウクライナ戦争は、ロシアによる30年遅れの異議申し立てであり、半世紀にわたるロシアの衰退への誤答でもある。そして、この戦争は遠く離れた日本にも様々な影響を及ぼす、複合的な戦争なのである。
(続きは『中央公論』2023年9月号で)
1964年兵庫県生まれ。神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(政治学)。専門は国際政治、アメリカ外交。広島大学助教授、同志社大学助教授を経て現職。2013~16年に同大学学長、19~20年に防衛省参与を務めた。『アメリカ外交』『レーガン』『トランプvsバイデン』『映画はいつも「眺めのいい部屋」』など著書多数。