稲田豊史×レジー×佐々木チワワ ファストな社会の歩き方

稲田豊史(ライター・編集者)×レジー(ライター・ブロガー)×佐々木チワワ(ライター)

私はネオリベJKだった!?

佐々木 だってそうですよね。でもそれを考えられないから、成長のわかりやすい指標が数字で欲しいのかな、と。ゲームのレベル上げみたいな感覚というか。たとえばホストクラブって、お金さえ使えば何者でなくてもいい場所で、無条件に自分の存在を認めてもらえるんです。お金が絶対的な価値。そこで、「他の誰よりもお金を使える私は、誰よりも偉いんだ」と、金銭とめちゃくちゃ融合した価値観が客として通う側に植え付けられていく。

 ホストクラブの場合は使ったお金が指標だけれど、最近はYouTubeの再生数やSNSのフォロワー数などのわかりやすい数字によって、「この人はすごい/すごくない」が決まる傾向があるのかなと。


レジー 可視化と定量化があらゆる場面で進んでいますよね。


稲田 そう、レジーさんと僕の本に通底するのは、そうした変化を現象としてい上げている点にあると思います。倍速視聴は単位時間あたりでどれだけの情報を「摂取」できたかという量の問題と捉えられるし、ファスト教養もどれくらいの知識を得たら年収が上がるのか、といった点に主眼が置かれている。


レジー 全ての発想がビジネス的なんですよね。ビジネスの世界では、数値化できないものをKPIとして扱えない。数値として計測して結果の良し悪しを判断していかないと、事業を成長させることができないから。その流れは加速していて、今はデジタルトランスフォーメーションを通じて全ての企業活動を数値化して処理しようとしているわけですよね。そうしたビジネスでのトレンドが、エンターテインメントや教養といった分野にも染み出してきている。それが気持ち悪いんです。


稲田 ビジネスの場において、生産性を上げたり数値で結果を判断したりするのは当然です。だけど、今レジーさんがおっしゃったように、ビジネスの外にもその思想が染み出しているのが問題ですよね。たとえば、佐々木さんがKPIとおっしゃったじゃないですか。昔はそういったビジネス領域の用語を学生が使うことは、ほとんどなかったと思います。


佐々木 え、そうなんですか。普通に使いますけど......。私、中学生の時から『日経WOMAN』のライフハック特集などを読んで、ノートに書いたことをアプリで管理してたんですよ。中学も高校もパソコンの持ち込みがOKだったので、ノートはパソコンで取ってました。


レジー そういう情報って、何から得るんですか?


佐々木 ネットですね。ネットでタスク管理とか授業のノートのデジタル化ってどうやるんだろうって調べて、こういうところに書いてあるのか、と。


稲田 ネットがなかった時代は、背伸びしてビジネス書を読むような学生を除けば、牧歌的にモラトリアムを満喫できる学生の世界と、効率を追い求める社会人の世界は、良い意味で分断、ゾーニングされていました。それが、SNSが普及したことで、ウブな高校生と最前線のビジネスマンが同じ価値観のリングに上げられてしまったんです。


佐々木 私、普段は「Z世代」って一言でくくられても、「Z世代にもいろいろいる」「いつもアラサー以上の人たちと飲んでるしZ世代のスタンダードじゃない」と思っていたんですよ。でもお二人の本を読んで、私って2000年代の情報環境にある種洗脳された、立派なZ世代だったんだと思いました。もう、高校生の時から完全に市場原理主義に染まった「ネオリベ(ネオリベラリズム)JK(女子高生)」だったので。


レジー ネオリベJK......! パワーワードだ。


佐々木 なんでもマーケティングとして考えちゃうんですよね。私は高校生の頃からライターをやっていたんです。その時もまず「現役女子高校生が書くところに価値がある」と考えて、「その上で私にしか書けないことを書けたらもっと仕事が増えるし単価も上がるだろう」と戦略的にやっていました。人生をマーケティングするとか、ビジネス的に考えるのが当たり前すぎて、20年くらい前の学生はそれを知らなかったなんて衝撃です。やりたいことをやるためには、自分の人生を事業として捉えないといけない、という感覚がなかったってことですよね。


稲田 今でも、普通の学生さんにはないと思いますよ(笑)。佐々木さんみたいに、そこまで考えて自分の強みを把握して行動を起こせる人にとって、ネットはエンパワーしてくれる有用性の高いツールですよね。でも、かなり多くの若者にとっては、ネットは他人と比べて焦ったり病んだりしてしまう元凶になりかねない。


レジー 格差を拡大するツールになっているんですよね。


佐々木 昔は芸能人になるならスカウトされないと無理だったし、有名になるためにはマスメディアに取り上げてもらわないといけなかった。でも、今はインターネットがあって、SNSで誰でも発信できて、そこから何十万とフォロワーのいるユーチューバーやインフルエンサーが生まれています。そうなると、人や環境のせいにできなくなってしまった。「ネットさえあればできるのに、なんでやらないの?」と言われてしまうのは、暴力的ですよね。


稲田 映画やドラマの視聴にも通じるものがあります。「手元のスマホで何でもすぐに観られるのに、なんで観ないの?」と言われてしまう。観られるのに観ないのは「怠慢」であるとジャッジされる。それが余計、話を合わせるために観なきゃというプレッシャーになってしまうんですよね。

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