"日米同盟見直し″の末路 日本喪失の時代
「日本を失いつつあることはとても残念ではありますが」
二〇二〇年晩秋、晴れて二期目の再選を決めた第四五代アメリカ合衆国大統領、ヒラリー・クリントンは再選後初の外遊の地としてまたもアジアを選び、その歴訪の最後の地として日本を訪れた。
この時までに主要な在日米軍勢力は予定通り、日本からの撤収を完了。もはや名目的な存在となった日米同盟を象徴する米軍横須賀基地に停泊していた原子力空母ジョージ・ワシントンの艦上に降り立ったクリントンは、長年の同盟相手に贈る惜別の辞としてこんな言葉を残した。
「戦後、半世紀以上にわたって、この同盟関係は我々合衆国にとっても非常にユニーク、かつ貴重なものでした。二十一世紀の今日、それがなくなろうとしている現実を見て、改めてそう感じます。しかし、我々は過去ばかりを見てはいられません。未来を見つめなければならないのです。日本を失いつつあることはとても残念ではありますが(It is very regrettable that we are missing Japan)、新しいアジアの秩序を中国をはじめとする友好国と築いていけると私は確信しています」
その一時間後、米AP通信など世界の有力メディアがインターネットを通じて世界に配信した記事の主要見出しにはこんな言葉が躍っていた。
「ヒラリー、『日本喪失時代(Japan Missing Era)』の始まりを正式に宣言」
始まりは〇九年夏の政権交代
二〇〇九年初夏、第九二代内閣総理大臣・麻垣康三は戦後二番目の在任期間となった衆議院の任期満了を目前に控え、ついに解散・総選挙の断を下した。その直前に大手メディアが相次いで発表した世論調査で麻垣内閣への平均支持率は三五|四〇%にまで回復。文字通り、満を持して「天下分け目の決戦」に臨む麻垣の自信に満ちた顔からは「続投」の二文字がはっきりと見て取れた。
自ら「ホップ・ステップ・ジャンプ」と名付けた三段階の景気刺激策。最大のライバル、野党・国民党党首の竹沢昇一が最側近と認める秘書を巡るスキャンダル。イタリア・ラクイラで七月に行われた主要国首脳会議(G8)でオバマ米大統領ら海外指導者と堂々と語り合う「宰相然」とした姿。そのどれもが麻垣から見て、一度は離れかけた有権者の支持を自らに引き戻し、民自党を政権与党の座にとどめるプラスの材料になるはずだった。
そして迎えた運命の投票日−−。
(続きは本誌でお読み下さい)
〔『中央公論』2009年7月号より〕