なぜ、「政権構想」はここまで空虚になったのか

橋本五郎(読売新聞特別編集委員)×星浩(朝日新聞編集委員)×飯尾潤(政策研究大学院大学教授)

飯尾 総理を支える立場にいたにもかかわらず、それができなかった人たちが後継を決める代表選挙にわれもわれもと手を挙げるというのも、理解に苦しみます。少なくとも、なぜ支えられなかったのか反省してもらわないと、納得できません。菅さん自身、鳩山内閣の副総理だったにもかかわらず、鳩山さんが辞めたら次は自分だと有頂天になってしまった。きちんとした反省から入っていれば、参院選はあれほど負けなかったかもしれません。

橋本 二〇〇九年五月のポスト小沢(一郎)の代表選に、菅さんは出なかったでしょう。なぜかと聞いたら「自分を支えてくれる人がいないんだ」というのですよ。「この人変わったな」と思いました。この謙虚さが欲しかった。(笑)

飯尾 そこで総理の道をきっぱり諦めて、「重要課題に取り組む難しい大臣は俺に任せろ」くらいのスタンスに転じていたら、彼はもっと活躍できたかもしれない。

 最近、民主党をみていてまずいと思うのは、リーダーに対してだけでなく、自らの決めた政策についても責任感が稀薄なことです。例えば「二〇一〇年代半ばに消費税率を一〇%に引き上げる」と党で決定したにもかかわらず、「実は私は反対です」などと平気で言う。代表選に出た海江田(万里)経済産業相も「民主、自民、公明の三党合意を白紙にすることも」などといっていた。党が決めた合意にすぐ、いちゃもんをつけている。たとえ反対でも党で決めたことには従うという、小学生でもわかるルール感覚を欠いているのは、由々しき事態ではないでしょうか。

「所得倍増」に学ぶもの

橋本 少し歴史を振り返ってみましょう。政権構想の戦後最大のヒットは、なんといっても池田(勇人)内閣の「所得倍増計画」でしょう。政治的に行き詰まり、国民がどちらの方向を向いたらいいのか探しあぐねていたときに、生きる希望を与えられたといっても過言ではありません。

 おっしゃるように、六〇年安保のイデオロギー対決に日本中が疲弊し、すさんだ空気に包まれていたところに池田首相が登場して政治のペースチェンジを成功させました。「これからはイデオロギーではなく、経済でいく」と。提示するタイミングが絶妙でした。
 もう一つうまかったのは、そのキャッチフレーズ。大蔵官僚だった大平さんや宮澤(喜一)さんたちが絡んで作ったのだろうと思いますが、「所得倍増」というのは具体的で魅力的で、みなが実現可能なスローガンに感じられたのです。そして実際に成し遂げられた。「いのちを、守りたい」「最小不幸社会」といわれても、具体的な国の姿は目に浮かばないですよね。新代表に選ばれた野田さんの政策も、基本は財務省の方針を並べたもの。政治家としての夢、ビジョンとはほど遠い。

橋本 その実現のためにどうするのかも、さっぱりみえない。

飯尾 所得倍増計画の発表は、「擬似政権交代」といえるものでした。政策の優先順位を明確に変えようとしたわけですね。しかも、「安保」を捨てたわけではない。非常にしたたかな計算に基づいて政治の重心の転換を図ったところに大きな意義があります。マニフェスト時代の政権構想に意味があるとするなら、このように世の中の雰囲気を変えるということに尽きると私は思うのです。そのためには、単純に中身が明るいとか暗いとかではなくて、国民の腑に落ちるということが重要なのではないかという気がします。

橋本 現在に引きつけていえば、国民の負担には触れなければならない、しかしその先にはこんな希望があるんだ、という言い方でなければいけない。震災復興も少子高齢化もしかりです。そもそも私は高齢化社会がマイナスイメージで語られるのには合点がいきません。だって、長生きできる社会でしょう、何が悪いのか。世界に冠たる高齢化社会のすばらしさを構想に反映させれば、「最小不幸」などとは全く違うものができるんじゃないですか。
 さて、成功例が所得倍増だとすると、列島改造論は明らかな失敗だったと思います。地方にまで開発の波が押し寄せ、インフレが深刻化しました。角栄さんのリーダーシップは認めますが、あまりにも拙速にすぎました。

飯尾 確かに中身には問題がありました。ただし、それを実行する能力はあったんですね。今は構想の内容と実行力の両方に疑問符が付くという、情けない状況であることも指摘しておかなければなりません。

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