安倍がオバマに放ったもう一つの「三本の矢」
二月二十一日夜、ワシントン。安倍首相は、ホワイトハウス隣にある米大統領迎賓館「ブレアハウス」に到着した。すぐに翌二十二日のオバマ大統領との"真剣勝負"に向け、側近と最後の詰めに入ったが、意見はまとまらなかった。
「なかなか結論が出ない中、部屋を総理スイートからライブラリールームに移して岸田外務大臣、加藤副長官が入り、最終的な打ち合わせになりましたが、厳しい国益をかけた交渉を明日に控え議論は続きます」
首相はフェイスブックにこう書き込んだ。日本側の緊迫した様子と、交渉への意気込みがにじむ内容だ。
首相がかけた「国益」とは、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への日本の参加への道だ。自民党内でも少なくない反対論者を説得するためには、オバマ大統領から「聖域なき関税撤廃が前提ではない」との「感触」を得て国内に持ち帰る必要があった。
クールさが売り物のオバマ大統領の胸襟をどうやって開くか。それには、安倍首相本人が、これまで数代続いた日本の短命首相とは違うことを示す必要があった。実行力を備え、「一年では辞めない力強い指導者」(米政府筋)であると印象づけ、大統領から譲歩を引き出すしかなかった。
首相は会談冒頭、祖父の岸信介元首相が初訪米した際に、アイゼンハワー元大統領とゴルフをした話題を持ち出す作戦に出た。オバマ大統領のゴルフ好きは有名だ。大統領のために、日本製のパターも手土産に持ってきた。
ラウンドした場所も「バーニング・ツリー・クラブ」だったと具体的に伝えた。ワシントン郊外のこのコースは今も女人禁制で、大統領や外国要人らしかプレーできない会員・紹介者限定だ。ゴルフ通によると、中には今でも岸、アイゼンハワー両首脳が並ぶ記念写真が飾ってあるという。
「どっちのスコアが良かったのか」と聞くバイデン副大統領に、首相は「それは国家機密だ」とジョークを飛ばし、場は一気になごんだ。「国益」をかけた勝負はそこから本番に入った。その結果、両首脳はすべての品目の関税撤廃が前提ではないとの方針を確認した。首相は、その証文となる「日米共同声明」を大統領から引き出したのだった。
むろん、「ゴルフ談議」は、あくまでも会談の脇役だ。首相はTPP以外にも、日米同盟強化に向けた具体策を訪米までにまとめ、検討の場もそれぞれ立ち上げた。
柱となったのは、安全保障分野での「三本の矢」とでもいうべき基本方針だ。第一の矢は、二〇一三年度防衛費の一一年ぶりの増額である。長期的な防衛力のあり方を定めた防衛計画の大綱の見直しにも着手した。
第二の矢は、集団的自衛権の行使容認を検討する有識者会議の五年ぶりの再開だ。
三本目の矢は、日本版の「国家安全保障会議(NSC)」創設に向けた有識者会議のスタートだ。
財政難に苦しむオバマ政権にとって、政権発足からわずか二ヵ月足らずでこうした諸施策をまとめあげた安倍政権は、これまでよりは頼りがいのある同盟国として新鮮に映ったはずだ。首相は、三年三ヵ月の民主党政権下の「不安定な同盟国」からの脱却を印象づけることに成功した。首相が会談後、「同盟の完全復活」を宣言したのは、そこに手応えがあったからだろう。
昨年十二月十八日、まだ就任前だった首相は、衆院選での勝利を受け、大統領と電話で会談した。首相は、「一月に訪米したい」ともちかけたが、訪米は結局二月下旬になった。「会談は急がなくても、中身のある話ができる方がいい」との大統領の意向があったからだというが、結果的にそれは首相にとってもうまく作用した。
実は、安倍首相は、自民党が野党に転落する直前の二〇〇九年四月、ワシントンを訪れている。当時、すでに民主党の人気は飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていた。首相は「自民党凋落の元凶を作った自分」という心の傷を抱えたままだった。
そんな中、首相はそこで会った人たちに「祖父がプレーしたあのコースでやってみたい」と語っていた。今回の訪米ではかなわなかったが、「次」がもしあれば、祖父と重なる夢を、オバマ大統領とかなえられるかもしれない。もちろんそれは、「長期安定政権」というさらに大きな夢が実現したら、の話ではある。(雄)
(了)
〔『中央公論』2013年4月号より〕