対立軸が消え、政治不信だけが残った

対談●経済成長ですべての争点を糊塗したツケ
吉田徹(北海道大学准教授)×飯田泰之(明治大学准教授)

吉田 政治家はこれまで官僚機構や既得権益への批判で有権者を動員しようとしてきた。こうした負のメッセージしか発信しないで、何が社会にとっての価値たりうるかという正のメッセージがないから、生保の必要性など理解されないでしょう。政治が何をしても批判に晒されるのは、自らが負のメッセージしか撒き散らしてこなかったからです。結局日本は、経済成長という配分でしかまとまりえない。そのツケをみんなで払っている。

飯田 失業者が多くなると治安が悪化するのは、先進国では米英と日本のようですよ。もちろん悪化の程度は違いますが。カネがなくなると自棄になるのは、アングロサクソンと日本人の共通点なのかもしれない。これは悲しい話です。

吉田 日本の有権者の多くは、明日は豊かになれる──という以外の将来像をほとんど描けずにきた。いまだに『ALWAYS 三丁目の夕日』幻想が跋扈しています。

対立軸なき二〇一二年総選挙

飯田 昨年末の選挙についても言及したいと思います。

吉田 争点なき選挙でした。

 何人かの新聞社の記者が、二〇〇五年と〇九年の総選挙をシングルイシューで報道したことを大変に反省しているといっていました。政治にはシンボルが必要になるので、必ずしもシングルイシューで盛り上がったことを悪いと僕は思いませんが、そんなふうな自戒があったのは確かでしょう。

 その反省からか、先の選挙ではマスコミが懸命に争点をつくろうとして空回りしていたように見受けられました。"左"は安倍政権は危険だといい、"右"は民主党政権ではダメだと怒る。原発が大きな争点になると予想していましたが、これも的外れに終わった。

飯田 出口調査を集計すると、安保・外交、エネルギーなどが関心事であると答えた有権者は予想外に少ない。一方で六割が雇用、景気、社会保障などと答えています。要するに生活に密着したテーマに注目していたんですね。過去、日本で問われてきた右か左か、保守か革新かなど問うている余裕はないと。まずは景気だということだったわけです。

吉田 小選挙区制が根付いて形式的には二大政党制が実現したことによって、自民党も民主党も、政策にどんどん違いがなくなってきているという背景もあります。そうなると、有権者はますます選びにくくなる。「固定客」が必要というのは、そういう意味もあります。

飯田 一定程度生活が安定しなければ人々は環境や外交といったテーマに目が向かない。これが多くの有権者の本音でしょう。僕自身もそうです。

 民主党は自民党に比して二世議員が少ない割に、自民党以上に世間知らずの「おぼっちゃん」が多いように思えてなりません。というのも有権者の生きる現実をいまひとつ理解せず、いまだに有権者は外交、環境などの議論を求めていると信じている節があるからです。なんだか書生さんっぽい。

 一方、いい意味でも、悪い意味でも、すごく悪い意味でも(笑)地元と密着している自民党政治家は、こうした庶民の感覚に通じている。

 民主党が指摘される庶民感覚の欠如は実はマスコミにも当てはまる。多くのメディア関係者は今回選では原発が大きな争点になると思っていたようです。しかし、調査によっては原発に対する関心は生活保護の問題より下であったりしました。メディアも民主党も有権者の関心事を読み違えていたと思います。

吉田 本来、古びた対立軸に代わって個人のライフスタイルや道徳観に基づく対立軸が生まれなければならなかった。他国でそれに一役買ったのは学生運動世代ですが、日本では腰砕けになって、むしろ若者の政治意識が先鋭化している。ただ選挙になると最も強いのがバラマキとコネで成り立っていた自民党的な世界。これが一番足腰が強かったということかもしれません。

 ちなみに対立軸という場合、歴史的にいえば社会的な亀裂のことです。欧州でいえば教会と国家、中央と地方、資本と労働との間の溝が対立軸を作ってきました。ただ、世界を見渡してもかつてのように分かりやすく明確な対立軸はどんどん緩んできています。それゆえどの国でも政党政治は流動化していますが、日本ほど政党が社会に根をおろしていない国はない。それが政治の不安定さにつながっている。

飯田 伝統的な対立軸を持ち、支持母体がはっきりしているのは共産党と公明党。また、「日本維新の会」と「みんなの党」も比較的明確ですね。ただ、いずれも議会で多数派を形成するような政党ではありませんから、大政党に対抗する対立軸を打ち立てることはできません。その一方で小選挙区で勝ちあがろうとする自民、民主は立ち位置が近くなって明快な対立軸を持てない。

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