対立軸が消え、政治不信だけが残った
飯田 米国の共和党と日本の自民党が似ていて、米国の民主党と日本の民主党が近い──というように理解している人も多いようですが、話はそう単純ではない。米国の共和党と日本の自民党では支持母体はかなり異なっている。市民運動が発生すれば、それをも飲み込んでいく。その結果、海外であれば左派政党に所属していてもおかしくない人々まで取り込んできた経緯がある。日本の保守政治の中核とされた自民党とは不思議な政党であるわけです。
一方の民主党をはじめとする革新勢力は、経済政策を下位に位置づける傾向がある。経済政策がうまくいっていなければ環境や福祉政策などを推し進められるはずもないのですが。その行動原理をみていると、民主党の立ち位置は結局、五五年体制下の社会党に近いのではないかと思います。
吉田 アベノミクスに話を引きつけていえば、七〇年代から八〇年代前半までに、世界の先進国ではインフレか失業かという、トレードオフをめぐる保革対立をすでに経験していました。ところが日本は七〇年代の石油危機を乗り切り、八〇年代にはバブルに突入していった。つまり、重要な政治課題は経済成長によって覆い隠そうというクセがそのまま強く残ってしまっている。そこに安穏とし、保革は双方とも大きなイデオロギー以外の政策で対立軸を組み立ててこなかった。要するに深刻な踏み絵を政党も有権者も踏ませられる機会がなかったことが今になって露呈しています。
政権基盤が不安定なのは中間層の政治化を怠ったツケ
飯田 今夏の参院選でも自民党の勝利が予想されます。いよいよ衆参のねじれまで解消したら民主党はどうなるのか。僕は別に民主党を応援する義理は何もないのですが、民主党のあまりの惨敗ぶりに自民党に対抗しうる勢力がなくなることを心配します。判官びいきもありますが。(笑)
吉田 判官びいきは大事(笑)。競争なくして政治に革新は生まれませんから。重要なのは、英米のような二大政党制を実現するためには、それぞれの政党に一定程度の「固定客」が必要だという事実です。それがないと堅牢な二大政党制は実現できません。
日本の場合、二〇〇五年の郵政選挙で自民党が、〇九年に政権交代を掲げた民主党が、昨年は敵失で自民党が大勝ちしましたが、自民、民主ともに固定的な支持を取り付けてこなかったことが今のような極端な結果を招いているということです。
飯田 同感です。
吉田 六〇年代から七〇年代にかけて自民党の得票率が漸減するのにあわせて、中間層の無党派層がどんどん増えていった。九三年を境にして、今では無党派が有権者の六割を超えています。
マドンナ旋風を作り出し、細川非自民政権、小泉郵政選挙の勝利、民主党の政権交代選挙を下支えしたのはいうまでもなくこれら無党派層です。どの先進国でも無党派層は増えていますが、日本の政党と違い諸外国の政党は冷戦が潰えた九〇年以降、懸命にこれら中間層を政治化しようと努力してきた。
飯田 イギリスの労働党が「ニュー・レイバー」に生まれ変わったことなどが典型ですよね。
吉田 そうです。九〇年代前半、イギリスの労働党はそれまでの組合依存体質を改め、中産階級を取り込んで中道路線の政党として脱皮していった。これは大成功しました。一方の日本はこの時期、有権者を政治化することを怠った。こうした中で高まっていったのが政治不信です。政治家が何をしても信用しないという「不機嫌な中間層」をつくり出してしまった。
九〇年代に入って日本社会は底が抜けた気がします。政治家や官僚はもちろん信用されない。アメリカのように市民が結束してつくる中間組織も存在しない。家族内でも個人化が進み、隣人も信用できない。寄る辺のない、高度不信社会が出現した。そして、二大政党が中間層の政治化に失敗したため、彼らは選挙のたび、時の争点に簡単に流されて投票行動を決めてしまう。これが政治が停滞する要因のひとつになっています。
飯田 僕は昨今の生活保護制度に対する世論の厳しさに驚いています。学生と話していると「なぜ、そういう人たちを税金で助けなくてはならないのですか」と当然のように聞いてくる。驚くのは結構な社会的地位にあり知識層とされる人たちですら、生活保護制度に対して極めて拒否反応が強いんですよね。
自力で生活できなくなった人を国で支えるべきかどうか──という問いに対して、「YES」と答える人が世界で最も少ないのは日本。三八%が「NO」だという調査がある。小さな政府をよしとするアメリカですら二八%だというのに。これは驚くべき数字です。
生活保護はほんの一例にすぎないのですが、なぜ再分配が社会政策として必要なのかといった説明を、これまで政治が有権者にしてこなかったということを象徴的に示している事例だと思います。