小峰ひずみ 平成世代が描く左翼像――エンパワーメントによる新しい連帯のかたち

小峰ひずみ(批評家・エッセイスト)
写真提供:photo AC
 新世代の左翼が目指すべき連帯の新しいあり方について、今年5月に『平成転向論』を上梓した新進気鋭の批評家・エッセイストの小峰ひずみ氏が論じます。
(『中央公論』2022年10月号より抜粋)

痛感した左翼の困難

「デモ来ぉへん?」と知り合いを誘うが「政治に興味はないから」と言って断られる。2010年代からさまざまな社会運動に参加してきて、こんなことが何度もあった。先ほどまで私と声を合わせて自民党政権の愚痴をこぼしていたはずなのだ。それでも、政治運動や社会運動には魅力を感じないのだろう。「自分は小峰ほどまじめじゃない」と言い残し、そそくさと遠ざかっていく。私はまたしても「オルグ(組織化)」に失敗したのだ。

 何が問題なのだろうか。もちろん、私個人の力量不足もあろう。しかし、それだけではない。かつて、政治運動や社会運動にはオルグがつきものだった。それは、たとえば「労働者階級は資本家階級と対立している」とか、「安倍政権によって日本の政治はめちゃくちゃになっている」とか、「世界は気候変動で危機に陥っている」といった政治観を共有し、行動をともにしようとするものだ。むろん、オルガナイザー(組織者)は自分の政治観が「正しい」と思っているから、相手を説得し、その政治観を共有し、ともに行動しようとする。ただ、「正しい」からといってデモに来てくれる時代ではなくなった。魅力がなければ人は集まって来ない。

 15年の安保法制反対闘争で活躍したSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)は、このことをよく認識していたのだろう。彼らは市民による政治参加のハードルを下げるために新左翼党派を排除し、おしゃれなビラを散布して自らの魅力をアピールするという方法を採用した。自分たちがどう見えるかをうまくデザインすることが、運動を盛り上げるための条件だ。

 そのSEALDsも16年に解散した。もちろん、解散後も多くの元メンバーが政治運動を続けている。ただ、私が気になったのはSEALDsが自らの解散を正当化するために用いたレトリックだった。彼/彼女らは、大学を卒業した後、仕事に従事して「スキル」を磨き、次の運動に備えるべきだと宣言した。

 この宣言はスキルを磨くことができる職業に就くことが前提とされている。つまり、SEALDsの面々が比較的恵まれた学生層だったから打ち出せた方針なのだ。フリーターなど仕事でスキルを磨くことができない人々も、運動の担い手となりうることが見過ごされている。この運動論は格差社会を運動のレベルで再生産しようとする。

 また、スキルは仕事で身に付ける能力だけではない。SEALDsがやってみせたように、おしゃれなビラを作ることや人の心に訴える演説を行うこともスキルである。連帯を築くスキルこそが求められるが、それは必ずしも仕事を通して得られるものだけではない。対して、SEALDsは運動からの離脱を肯定するため、スキルは仕事で磨かれると述べた。端的に言えば、ごまかしたのだ。最後の最後で露呈したスキルに対する考えの甘さがSEALDsの限界だったように思う。

 私たちはSEALDsの功績と限界を踏まえつつ、いかにして連帯し闘っていくか、考えなければならない。そのときに重要となるのは、「左翼」という言葉が対象とする範囲を広げることだ。世の中にはさまざまなスキルを持った人々がいる。その人々とうまく共闘することで、現状を打開できるかもしれない。そのためには、「左翼」とは何なのか? と再考する必要がある。運動に参加する人々だけを左翼理論の対象にするのではなく、さまざまな人々を対象とできるよう左翼理論を再編しなければならない。そして、より裾野の広い共闘の礎となる言説を作り上げることが、これからの左翼には必要だと私は考えている。

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