小峰ひずみ 平成世代が描く左翼像――エンパワーメントによる新しい連帯のかたち

小峰ひずみ(批評家・エッセイスト)

そもそも左翼とは?

 左翼という存在をデモや集会を開き、ストライキや団体交渉を行い、Twitterで誰かを吊し上げている人々だと考える人は多いだろう。しかし、私からすると、それはかなり狭い見方である。左翼とはまず視線のことだ。つまり、世界や社会がどのように見えるかが、左翼であるかどうかの分岐点となる。どういうことか?

 左翼というと、まずマルクス主義者が思い浮かぶ。マルクス主義者とは、大まかに言うと、資本家階級と労働者階級の対立を至るところに見いだしていく視線を持ち、その対立を中心にして世界の歴史が進んでいくと考える人々のことだ。しかし、1968年頃、世界中で学生を中心とした社会運動が盛り上がった際、マルクス主義への異議申し立ても行われた。資本家と労働者の対立だけではなく、白人と黒人の間にも、日本人と外国人(主にアジア人)の間にも、男性と女性の間にも、健常者と障がい者の間にも対立があると考える思想が出てきた。対立軸が複数になったのだ。

 この世には対立があり、力関係が存在している。「資本家」「白人」「日本人」「男性」「健常者」「異性愛者」に力が偏っており、「労働者」「黒人」「外国人」「女性」「障がい者」「同性愛者」は力を奪われている。職場にも家庭にも介護施設にも、この力関係が働いている。法律もまた力関係のもとに成立する。その対立を見いだしていくのが、左翼の視線だ。そして、この力関係を弱者が連帯することで覆していこうという考えこそ、左翼の思考だ。他方、この世界の至るところに現れる対立を見逃すならば、あなたの視線は保守的である。

 日本社会ではデモや集会に参加する人が少ないと言われる。しかし、社会にこの力関係が存在しないわけではない。力関係がある限り、私たちはあらゆる場所でさまざまな身ぶりで闘っている。人民はつねに闘っている。その孤独な闘いを捉えることが左翼の永遠の課題である。この闘いに寄り添う言説や歌や物語などを作り上げて広く共有し、「闘っているのは自分ひとりではない」という希望をもたらすことが、左翼の任務のひとつである。

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