小川淳也×千正康裕 元キャリア官僚から見る、霞が関の破綻
なぜ政治主導が必要なのか
小川淳也氏
小川 右肩上がりの時代は、意思決定も前例踏襲でよかったし、政治はその上であぐらをかいていればよかったわけです。各省主導で前例に従えば、省益という名の部分社会の利益が満たされ、それは社会全体の全体利益ともあまり矛盾しなかった。官僚はそれぞれの省益を軸に動くわけですが、部分最適と全体最適が一致してしまうから、大きな問題が起こらなかった。部分最適の追求が全体最適をもたらしたのは、政府だけではなく民間企業も同様だったと思います。
千正 自分たちの領分で課題解決に当たってさえいればよかった、と。
小川 そういうことです。ところが右肩下がりの時代に入ると、パイが小さくなっていくから、誰かが部分最適を追求すると誰かが食いっぱぐれてしまう。人口減少と高齢化が同時進行する社会にあっては、まず全体最適を描かないといけないし、どの部分を削るのかという高度な政治判断が必要になる。ダウンサイジングの局面での意思決定は、あちこちから血が噴き出る仕事だし、さまざまなステークホルダーを納得させる説得力が必要なんです。
千正 ダウンサイジングをしなければいけないセクターが、いくつかの省庁の管轄範囲をまたぐことも多くなり、もはや一つの省庁では解決できない課題ばかりという状況ですね。
小川 2009年の政権交代で、私は総務省の大臣政務官として古巣に戻ったんです。局長や課長は、みんな私の元上司です。そこで私は、「なぜ政治主導を掲げた民主党政権になったのか。それは社会のあらゆる意思決定が、前例踏襲のボトムアップではもたなくなったからだ」と宣言したんです。部分利益の積み上げで全体最適が達成される時代は、もう来ないんだ、と。
千正 意識改革を迫ったわけですね。それは間違いなく正論だった。ただ、そこからトップダウンの混迷が始まって、官僚たちの疲弊が加速してしまったのも事実です。
小川 おっしゃる通りで、民主党政権から安倍政権、菅政権、岸田政権と続きましたが、トップダウンにふさわしい力量と見識を持ったリーダーシップを、いまだこの国は持てていない。民主党政権も含めて及第点とはとても言い難い。
千正 政権ごとの長所と短所は違いますが、リーダーシップの質で言えば、その通りだと思います。
小川 ダウンサイジングの時代に十分に適応できるリーダーはいまだ一人もいない。一方で、歪んだ形のリーダーシップが誕生した。つまり、リーダーの靴を喜んで舐めるような、唯々諾々と従う官僚で周囲を固め、少しでも歯向かう人たちはどんどん左遷する。安倍政権、菅政権はそのような恐怖政治によるトップリーダーシップだったと言えるでしょう。
真のリーダーは説得力、人望、人徳、信頼感を備え、グランドデザインは示すけれど現場に十分な裁量を与え、政策実行によるハレ
ーションや負荷はすべて自らが引き受ける、そのような者でなくてはいけない。官僚たちにとってはトカゲの尻尾としていつ切り捨てられるかわからないなかで、命令に従わされるここ数年の状況は、たまったものじゃない。離職率の高止まりは当然の帰結なんですよ。